静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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どこからアプローチするのか

 まぁ、今のおいらの仕事は「産業を元気にする事を通して、地域を元気にする」って言う事を目的としている訳なんです。そのために、「経理」って言う仕事を今はやっているんですが。まぁ、不満たらたらではあるんですが、前職の事を考えれば正直かなり気は楽です。
 ですが、実際に考えてみると「地域を元気にする」って言う仕事のプロセスの中で、一体本当に自分たちの自主性が保たれているのか?って言うと正直な話疑問な訳で。国や県が決めた施策を実施する事が自分たちの仕事であり、その中に「こうしたらいいんじゃないのか?」と言う自分たちの意見を反映させるのが非常に困難なものになっています。まぁ、少なくとも自分は県の職員じゃないし、少なくともその政策立案プロセスにおいては「現場からの声」と言う部分でしか物事を言う事が出来ないわけで。少なくとも、上の存在を常に考えながら色んな事をせざるを得ないって言う状況です。
 まぁ、その立場に安住すればかなり悪くはない世界だと思いますし、実際に現場に立てば色々と面白い事もあると思いますし、同時に「何でやねん」って言う色んなツッコミも出てくるんじゃないのかな?って思うんですが、果たしてそれが本当に「地域を元気にする事ができるのか?」って言う部分から言うと可能なのかなぁ・・・って疑問を持っている訳なんです。
 自分が「何をやりたいのか?」って言う事を考えたとき、そこにはやっぱり「まち」と言う存在と常に密接な関係でありたい、って言う想いがある訳で。で、その想いを叶えるためには一体どうすればいいのか?って言う事を最近ではよく考えております。
 で、「まち」って言うものの事をおいらは「新しい何かを創造する場所」って言うように思っておりました。それこそ、いわゆる雑踏の賑やかさとか言うものの上に存在する「創造」って言うものですな。ですが、これに転機を与えてくれたのがClannadって言うゲームだった訳で。確かに「たかがゲームじゃねぇか」って言う批判はあるかとは思うんですが、そんな「まち」を考えるおいらにとって、かなりガツンと来たのは「まち」のあり方を再定義させてくれたって言う事なんですわ。つまり、「そこに存在し、誰にとってもかけがえのない場所」である、って言う、今から考えてみれば「当たり前」過ぎる事なんです。

でも、そんな「当たり前」ってつい忘れてしまいがちなんですよね、往々にして。

 結局、「当たり前」を忘れたところに何が存在するのか?って言えば、結局の所実状を無視した技術論であるとか、経営論、そして画一的な行政機関なんじゃないのかな?って思うんです。まぁ、行政機関に関しては公正公平が大前提ですので、どうしても仕方ない部分はあるとは思っているんですが。
 新しい何かを創造するって言う行為は非常に有用な行為であると思います。ですが、その行為を行うのはあくまでも人間であり、その人間の事を無視しては創造ってもんは成り立たないのではないでしょうか。基本は人間の存在って言う所にあるし、その人間の活躍する場を創造するための営為、それが「まちづくり」ってものの意味であり、同時に規範であるべきなんじゃないのかな?って思うんです。
 六本木ヒルズや汐留の再開発、面白いです。非常にエキサイティングなまちだと思います。でも、それが東京中、いや、静岡中に広まって成功するのでしょうか?まぁ、一旦「静岡」って言う観点は抜きにして考えてみますが、個人的においらはそんな「エキサイティングなまち」だらけになってしまっては正直面白くないって思いますし、そうさせちゃならない、って思うんです。それこそ、おいらが良く書いているような板橋区のような「田舎」〜相対的に言った場合にですけど。少なくとも静岡と比べれば断然都会ですが〜があるべきだと思いますし、そんな都市の機能を残さなくてはならないって思っています。
 変な話ではありますが、おいらにとっての「板橋」って言うまちは「田舎」です。おいら、生まれは何と言っても都立豊島病院ですし、石神井川の水を産湯に使ってはないですが、どの鉄道路線よりも都営三田線を一番長く使ってきたって言う自信はあります(まぁ、それが自信になるのか?って言えば思いっきり謎なんですけどね)。確かに最近ではビルが増えたり、都心部に存在する「匿名性」ってもんは高まっていますけど、板橋児童館の近所にある坂から見る池袋方面の夜景はおいらがガキンチョの頃と殆ど変わっていません。いわばおいらにとっての「故郷の風景」となっている訳なんです。
 確かにこの「静岡」って言う所も好きですし、小学校2年の夏から途中4年のブランクはあるものの、30を越えた今までずっと住んでいる訳なのでそれなりの愛着はあるんですが、それでもやっぱりあの坂から見る夜景ってもんは、おいらにとっての「守りたい風景」なんです。だからこそ、正直今の自分を裏切る事になるかもしれなくても、やってみたいなぁ・・・って思う訳なんです。野暮用1も野暮用2も。
 まぁ、今のところですと野暮用1は「常識が無いからダメだよ」って断られる事になるんじゃないのかな?って思うんですが(と言うか確定だろ)、野暮用2の方は「ひょっとしたら」って言う部分があるんじゃないのかな?って思っています。まぁ、取りあえず現段階では呼び出しを受けただけなんですけどね (´,_ゝ`)プ 。
 今の仕事も、野暮用1も2もアプローチは全く違います。でも、「まち」と言うものに密接に関わる事ができるだけに・・・正直言って今の自分には非常に魅力的な訳で。何にしても死力を尽くして最後までやってみるべきなんじゃないのかな?って漸く結論づける事が出来たような気がしないでも無いんですが。少なくとも野暮用-1の頃のように「後がない」訳ではないのですから、可能性を試してみたいって思います。