静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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「萌え」と「燃え」

某所の駄目同志から昨日の夜入電。「お前、こんなの好きだろ?」って言う事で薦められたのが下のCD。


 この中の「未来への咆哮」、超熱い、熱すぎる。燃え格好いい。俺様テーマ曲(と勝手に言っている)"Trust You're Truth-明日を守る約束-"よりもある面燃え格好いい。素手で触ったら火傷してしまいそうに熱い位格好いい。
 けど、この熱さって本当は色んな所で必要なんじゃないのかなぁって実は思う。
 この曲は某18禁ゲーム(エロだから18禁らしいんだけど、俺的には「エロだから18禁」なんて言う生やさしいもんじゃないと思う<Muv-Luv Alternative。)のOP曲とかが入っているマキシシングルに入っているんですけど(曲そのものは18禁じゃないス)。
 聴きながら思ったのが「萌え」とか言う感情の先に「燃え」って言う感情があるんじゃないのかな?って言う事。おいら的には「萌え」って言う感情は「愛おしくてたまらない」って言うような事を現す一つの感情じゃないのかな?って思います。まぁ、相手が2次元であっても3次元であっても、概念であろうと実体であろうと、そして、無機物だろうが有機物だろうが「萌え」って言う感情は存在し得ると思います。
 ですが、「萌え」と言うのはあくまでも対象物をどこか客観的に見ていて「あ、これいいなぁ」って思う程度の話なんじゃないのでしょうか。まぁ、外部から与えられたものに対して抱く感情の域を超えないと思います。それが故に、「萌え」の対象って言うのは移ろいやすいものになるのではないでしょうか。あくまでもその事象の表面を辿った結果として「萌え」と言う感情を描くのではないかと思います。
 もし、これが自らが主体となって関与するものであった場合、「萌え」と言う感情を抱くのでしょうか。少なくともおいらは「自らが主体的に関与する事象」に関しては「萌え」と言う感情を抱かないと思います。例えば、「旅費規程に関する内規萌え」なんて事は言わないですよね(苦笑)。いや、確かに「ここまで新幹線の定義を詳しく決めている内規(の馬鹿さ加減に)萌え」って言う事はあるかもしれないですが、「自分の手で苦労して作ったもの」を自分で「萌え」などと言う客観的な評価は出来ないと思います。むしろ、「俺が色々上司からツッコミ喰らいながらも何とかまとめたんだ」って言う感じになるワケで。この場合は「思い入れ」と言うものの方が強くなるかと思います。結局はある事象を構成している背景的な要因を知った段階で「燃え」と言う「萌え」の上に存在する概念が発生してくるのではないかと思います。コレクションなんかにしてもそうじゃないかと。
 まぁ、「萌え」と言う便利な概念は概念としてその意義は認めるべきだと思いますし、色んな部分で都合いいものですからねw。でも、事象の本質って言う面から見た場合には「燃え」を感じる、いや、感じさせるものを色んな場面で創りあげる必要があるのではないでしょうか。
 そんな感じで、おいらはこの「未来への咆哮」って言う曲に「熱さ」、そして「燃え」を著しく感じております。

立ち上がれ 気高く舞え 運命を受けた戦士よ
例え傷ついて 力尽きても
赤く燃え 見事に散って 星になった命よ
時を越え その名前を胸に刻もう
Just forever

未来への咆哮」より