静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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週末は・・・

*遡及日記*
夜明け前より瑠璃色な」を今更ながらやっていた倉庫番です(ご挨拶)。
何でそんなもんをやっていたかって?いや、色々と諸事情ございまして・・・。まぁ、そこは色々と、って言う事で。ですが、これだけは確実。


決してエチィの目的じゃない。

これだけは天地に誓って言う事は出来ますよ。ええ、確かにミアテラモエスwwwwとか言っている自分が居るんですが、やっぱり惹かれたのはフィーナ姫の凛とした行動でしたね。ええ、俺にはとてもじゃないけど真似できない、とは言いませんよ。いやマジで。

とまぁ、ネタ的な部分から書き出しをしてみたんですが、久々に「夜明け前より(ry」をやってみて感じた事って言うのがあるんですよ。「そもそもエロゲーって一体何なのよ?」って言う部分なんですわ。確かにリアルのおにゃのことあんな事出来ないって言う事に対する代わりのもの、って言う感じがするなぁ・・・って思う部分があるのは確かな部分なんですが、それ以前に「それならそれで、単純にエロ出来るようなシステムじゃないのよ?」って言う所もあるんですよね。ええ。


 確かにその話は虚構であって、少なくとも現実のものではない。
 だけど、その舞台や物語に「色んな理想」を描く事が出来るんじゃないのかな?って思うんですよ。
 そして、それを色んな形で伝えたり、広めたりするための新しい媒体なんじゃないのかな?ともね。


 おいおい、そんなもんメディアの特性じゃないのか?って言われれば、はいそれまでよ、って言う形で終わってしまいそうな部分もあるんですが、どうも果たしてそれだけで終わらせてしまっていいのか?とも思うんです。それこそ、惚れた腫れたの三文芝居w的な部分もあるんでしょうけど、どうもそれだけじゃないんですよね。作り手側の「何か」を伝えたいって言うか何と言うか。
 週末に必死になって(何故必死なんだよw)やっていた「夜明け前(ry」なんかは「絆」って言う事にこだわっていたような気がしてならないんですわ。正直、「家族」ってもんの存在がどうも分からなくなり始めているイヤな世の中に「絆」って本当は大事なもんなんだよ、とか「好きな人を守るって言う事はとてつもなく大変だけど、その想いを守るためだったら前に歩いて行けるんじゃないの?」って言うような、正面切って言えば余りに青臭い、理想主義的なもんじゃないのかなって思うわけで。けれども、そんなものを伝えるための「メディア」として今一体何が存在しているのかな?って言う事を考えると・・・とてもじゃないですが、まともなメディアが機能不全を起こしている状況じゃ「この偽善者め( ´,_ゝ`)プッ」で終わってしまうんじゃないのかと。と言うか、メディアを誰も信頼していない(と言うか、一部の意見しか代弁していないって言う事を視聴者が知ってしまった)中で「メディア」がそんな事を言う事は出来ないんじゃないのかな、って思う訳で。
 確かに「んな事エロゲーで出来るのかよ?」って言われて見た場合、実は案外昔で言う所の「小説」のような役割をしているんじゃないのかな、って思うわけで。それこそ、結構今では教科書に出ているような著名な作家だって出た当初は「何この悪影響を及ぼしそうな本」って言う事は確実にあった訳だし。果たして今の神から糞まで溢れているエロゲーの中で、何が将来語り継がれるかどうかは分からないですが、100年後には教科書に出るような作品があるような気がする訳で。


 いや、それが証拠に・・・「あっ!」って思う台詞は結構ありますぜ、色々と。
 年間、そんなにエロゲはやんないんですが、それでも自分の琴線に触れた作品はやって行きたいって思います。そんな「あっ!」って言うのを味わうのが結構楽しいですから(汗。

 
 でも、「夜明け前(ry」をやって感じた事、それは言葉にすると余りに陳腐なんですが「誰かを愛おしく思うのなら、その人を守れるだけの強さを持たなくてはならない」って言う事ですわ。今の自分にゃ耳が痛いですけど。