静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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四十九日。

 と言うわけで伯母の四十九日。お坊さんの読経の後で小平霊園まで納骨に向かう。

 ウチの親戚は小平霊園にお墓があって、それこそ川越に住んでいた頃から時々出かけておりました。そのころはまぁ、西武新宿線に乗っていったりしていた訳なんですが、今ではそれこそ車で向かいます。そう言えば、前来たのっておいらの祖母が亡くなった時以来のような気がする。考えてみればもう10年以上前なんだよなぁ・・・と。
 ご遺体を荼毘に付した時もそう思ったんですが、人間って「モノ」であると同時に「記憶」って言うものが渾然一体となって存在しているんじゃないのかなぁって思うんです。骨壺に入っているそれは完全に「モノ」。だけれども、色々とお世話になった事や、時には怒られた事なんか、これは明らかに「記憶」な訳で。単なる「モノ」であるなら別にわざわざ奉る必要は全くない。だけど、そこにある「記憶」や「繋がり」って言うもののとの連関の中においては「モノ」となり得ない。その安置された場所は、言い方は変な話ではあるけど「聖地」ってなる訳なんじゃないのかな、って思う。

 自分にとって「小平」って言うマチは正直言って何も分かりませんし、強いて言えば「ああ、梅70って言う都バスの長距離系統が走っている所ね」って言う印象位しかない所ではあるんですが、それでもやっぱり強い繋がりを感じるんです。何の因果か分かりませんが、オケの練習がそのうち小平であったりとか、12月になるとすぐ近所の東大和市の研修所で研修を受けたりする訳で。

 場所は離れていても、想い出だけは一生消えません。どうか、良い旅路を。そんな事を想いながら小平を後にする。

 
 その後、食事会でビールを飲んだので、運転は我が家の中の人に任せて、清水まで寝て帰る。福岡であんな痛ましい事件があっただけに、酒が一滴でも入れば絶対にハンドルを握りたくない訳で。