静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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「素敵なオジサマ」って。

 そんな事をふと考えてみる。
 納会で飲みながら見たこの間の演奏会のアンケートの中に「素敵なオジサマ」なんて言う自由回答があったんですが・・・いやいや、これじゃない。「○○から聴きに来た甲斐がありました」って言うのが印象に強く残っている。地名を見ると「えっ!そんな所から!!」って正直驚く位の場所。
 ・・・演奏している本人は「楽しいから」と言うのはある。素直にその「楽しさ」って言うのが伝わったんじゃないのかな、と思いたい部分だし、「聴きに来た甲斐があった」って書いて頂いている、って言う事は素直に喜んでいいことだって思う。だけど、ここでふと考えてしまう。「誰かのためにやってるのか。それとも自分のためにやっているのか」って言う事を。


 仕事で考えてみる。
 毎日毎日数字に追われつつ、見通しが甘いって良く上司に指摘を受ける自分が居る。だけど、お客さんの前に出れば、お客さんの困難な状況を打破するための"Striker"であるのは、キャリアの長い短いに関わりなく全く一緒。中の人の立場から見れば「上司と俺じゃ全然格が違うっすよ」なんて言う事は出来るかもしれないけど、お客さんは全くそんな事を考慮しちゃくれないぜhehehe。だからこそ容赦なく「何とかならない?」って聞いてくるし、「この資料頂けませんか?」とお願いしても見せて頂く事ができる。
 立場や扱っているもの、が影響しているって言うのは流石に否定できない。
 けれども、やっぱり基本的には「お客さんの抱える問題解決」をある方面からする立場の人間だし、基本的なスタンスで言えばやっぱり「お客さんのため」の仕事をしている。


 音楽、って言うか趣味で考えてみる。
 逆立ちしたって本職にしている人にはかないっこない。あくまでも「趣味」の範疇に過ぎないんだから。日常のworkとは違った部分で「何か」を楽しむ事によって「気分転換」が出来る。だけども、あくまでその根本にあるのは「自己満足」にしか過ぎない。それ以上でもなければそれ以下でもなく、あくまでも「おまけ」にしか過ぎない。
 確かに「趣味」って言う観点は「お金を稼ぐ」って言う観点とは違って、純粋に「物事の本質」に近づく事が可能だと思っている。場合によっては「自分の持っているスキル」を趣味に活かして更に「物事の本質」に近づく事が可能になるのではないか。そんな中で誰かが「すげー」と言ってくれればそれはそれでまた楽しいし、モチベーションが上がるって言う事に繋がるんじゃないのだろうか。


 そう思うと、「趣味」と「仕事」って言うのは近いような気がしないでもない。ただ、そのアプローチが全く異なるだけの話で。「仕事」って言うのは、基本的に「生活の糧」を得るための手段である。だが、その「糧」を得るために自分なりの方法論を組み立てて行く事が可能であるし、その「方法論」を極めた人が「マエストロ」であり「職人」であると言う事ができる。趣味はお金を稼がない(一部には稼ぐ人も居るが)。だけど、その方法論を極めた人も「達人」とか言うように呼ばれるんじゃないのかな、と思う。
 仕事だけをしている人は尊敬したくはない。趣味だけで生きている人も同様。だけど、色んな部分で経験を高めて、その得た経験を「仕事」にも「趣味」にも活かす事が出来る人が居るし、自分はそんな人を学生の頃に正直な話「格好いい大人」だと思っていたし、憧れていた。


 今の自分は、学生の時に憧れていた「大人」の年齢になっている。
 今の自分にそれだけの「格好よさ」があるのだろうか?


 アンケートに書かれていた「素敵なオジサマ」と言うのが自分を指すのかは正直分からない。
 もし、自分を指しているのならば、もっと「素敵なオジサマ」になりたいと思う。
 もし、自分じゃないのなら「素敵なオジサマ」って言われるようになりたい。

 ふと、そんな事を考えてみた。