静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

「繋がり」。

今日は少し折り曲げておきます。
コメントへのレスポンスは明日以降にさせて下さい。
今日の川越は、あの日と同じような蒼い空でした。

 1月16日の日記にこの写真を掲載しました。写真を見ると東京湾の向こうに房総半島が見える写真なんですが、その眼前に見える建物、これは東京ビッグサイトの東館です。この角度で写真を撮影出来る場所・・・と言うと察しのいい方は分かると思いますが、癌研究会有明病院の12階から1月10日に撮影したものです。
 この病院に伯母が入院しておりましたが、去る1月16日のエントリを書いた直後に短い62年の天命を全うしました。正直、何故この写真を撮ったのかは自分でも分かりません。夏と冬、西館4階のトラックヤードから毎年眺めている風景かもしれません。ですが、その「風景」に込められた意味を今年の夏も、今年の冬も忘れたくない、そんな思いが心の中にあったのかもしれない、そう思ってシャッターを押したのかもしれません。「有明」と言う場所に遺した「良く生きたい」と言う遺志を受け継ぎ、日々後悔しないで過ごしていくことが自分にとって「出来る事」なのかと思います。
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 訃報を受け、川越に赴いてからのこの一週間の間は色んな想い出が蘇ってきました。小さい頃から色々と良くして貰った事や怒られた事正直色々とありました。そんな「想い出」を懐かしむ間にある1つの言葉が心の中に引っかかってきて仕方ありませんでした。その言葉は「繋がり」と言う言葉です。
 考えてみれば「繋がり」と言うものの中で生かされているのかもしれないなぁと。仕事の面で言えば、相談の一本の電話を受け社長さんの所に赴いて色々と話を伺う事も「繋がり」ですし、このBlogやwebページを通して「繋がるはずの無い人と繋がる」と言う事も「繋がり」です。そして、何よりも自分の両親の元に生まれてきた事、これだけは決して選べるものではないのですが「繋がり」です。正直、言葉に書いてしまえば「そんなの当たり前だろ常考」となるのは分かっていますし、そんな「繋がり」を当たり前のように感じているのはあります。
 だけど、その「繋がり」と言うものは、決して「作ろう」と思って作る事が出来るものではない訳で。
 失われてから初めて気付くものもある訳で。
 だからこそ、ここ一週間の間、心の奥底で「繋がり」と言う言葉が「引っかかって」いたのかもしれません。考えてもある種「当たり前」の結論になるのかもしれないですし、自分が遠い場所へ旅立つ時にその「繋がり」と言うものの本当の意味を理解できるのかもしれません、いや、ひょっとして生きている間に理解する事が出来ないのかもしれません。
 でも、自分にとって出来る事はただ1つだけです。「良く生きる」と言う事。仕事でもプライベートでも後悔をしないように、色んな人の「想い」を受け取って、その「想い」を1つでも多く現実に活かす事。それが自分と繋がっている多くの方に対する最大の「出来ること」だと思う訳で。
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 願わくは、遠い場所への道中が無事であることを。
 そして、最大限の感謝の言葉を。