静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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定期演奏会聴きに行って来たお!

 と言う訳で母校の定期演奏会があったので、午後から静岡に出かけてきた。住んでいる場所が静岡なんじゃね?って言うツッコミは無しの方向で。いや、昔から言うでしょ?「有度は清水の軽井沢」って(一体いつの広告だよw)





 とまぁ、今から約20年近く前にこのステージに乗って「最後の定期演奏会」を迎えた訳なんですが、顧問の先生は変わっても「らしい音」って言うのは健在だな、って思って正直一安心。今となっては細々と楽器を続けてる訳なんですが、この吹奏楽部に入って楽器をに触れる事がなかったら今の自分も実は無かったんじゃないのかな?と毎回思う訳です。そう言う意味では毎年行けないにしても、演奏会のある日に静岡に居ればやっぱり聴きに行くって言う事になってしまう訳なんですよね、ええ、実際の所。
 演奏を聴くのもあるんだけど、先輩方や後輩たちにも会えるって言うのがあったりとか、色々とお世話になった先生にも久々に会う事が出来ると言う「同窓会」みたいなノリがあるのにはあるんですよね。だからこそ20年近く経ってもやっぱり足を運んでしまう訳で。
 パンフレットに出ていた顧問の先生の言葉がなかなか真を突いているなぁと思ったので転載しておきます。


 クラシック音楽吹奏楽を健康に永らえさせるためには、コンサートの存在が決定的に重要だと思います。コンサートは予測がつかない神秘的なものです。コンピューターでプログラムすることも、インターネットで作ることもできません。いまだにマーラーチャイコフスキーモーツァルトの時代と変わってないのですから。
 何格好いい事書いちゃってw、と「先輩」の立場からは毒づく事も可能なんですが、「リアルな場」の重要性って言う事は普遍的なんだよなぁと思う訳で。確かに世の中は便利になって、楽器演奏どころか歌ですらコンピューターで歌わせる事も可能になっているのが現状な訳で。その現状を否定はしませんし、むしろ積極的に肯定したいと思います。一人の人間が演奏できる楽器は同時に二つは出来なかったのが、PCと言うツールのおかげで今では作曲から演奏まで完結できるようになりましたし、それは(DTMソフトの操作性って言う技術的な問題があるにせよ)今まで「ハードルが高い」と思われていた「音楽」と言うものの敷居を下げる結果になったと思いますし、「受け手から創り手」への変化が意思のある人にとって容易に可能になりました。そう言う中で「様々な人の様々な感性」に触れる事が出来るようになってきて、聞き手の側も「面白い」と思うようになって来たんですよね。
 ですが「伝える側」の立場に立ったときって言うのを考えると、そこにはやっぱり「独特の間」があると思うんです。ステージの照明が明るくなり、指揮者が入って来て一礼してから演奏者の方を向く。そして、全体を見渡し指揮棒を上げる。その指揮棒を上げてから振り始めるまでのあの一瞬の緊張、あの「間」こそ「この瞬間の重さ」って言うものを本当に感じるんです。何回も練習してきた曲、何回も指示を受けてきた曲、だけど、本番のステージという「予測できない何か」がある場に立つ事こそが、自分にとっての「コンサート」の楽しみだと思うんです、演奏する側としては。
 そりゃ、難しいパッセージが出来たときの快感はまさにヘブン状態なんですが、それとは違った「一瞬の緊張」こそが「コンサート」そのものであり、「音楽」と言うものを一つの媒体にして、大事な時間を使って聴きに来て下さった皆様に対する「メッセージ」の始まりなのかなぁと思う所です。
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 翻って色々な事を考えてみると、やっぱり「現場」って言うものの大切さに繋がってくるのかな?と思う所なんです。様々なメディアの上を情報と言うものは流れていますが、それはあくまでも「誰かの体験」とかであって「自分自身の直接の体験」では無いんですよね。価値観と言うものが人によって違うように、ある一定の「事実」を取ったとしても、その「事実」から出て来る「考え」と言うものはやっぱり個人個人で違うものです。
 自分が仕事で色々な会社の方に会って話をすること、これは「手続き」としての流れではあるんですが、その「手続き」以上のものがそこには転がっているのではと思うんですよね。実際に現場にたって切り盛りしている方の話を聞いて今までの情報の中で構築されていた「考え方」を揺り動かされる事もあれば、逆に「いや、これはこうなんじゃないの?」と言う事もある訳で、そのような「リアルな現場」があってこそ初めて色々と考える事が出来るのではと思うんです。確かに仕事の面では「決算書」と「業績見込み」と言う二つの数字が重要なポイントになってきます。ですが、その定量的な評価だけではなく、「想い」や「意気込み」と言った定性的なものをどのようにして組み込むのか?そこが案外求められているのではないか、そんな風に感じるのです。偉そうな事を激しく言ってますがw、これはおいら自身の譲れない所で。
 趣味の世界にしても全く同様。何か話題になっているものがあれば、やっぱり「現場」に行ってみて、自分でそれを経験してみる。その経験をBlogでもwebでも何でも「公開」してみる事によって、また別の人が興味を持って見てくれればそれはそれで嬉しいんですよね。正直に言えば。そう言う意味で「ネタ」と言うものを追いかけていきたいと思う訳ですし、その「ネタ」に対する興味と言うものが無くなったら俺っておしまいじゃね?って思うんです。
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 音楽そのものを仕事にしている訳ではないですし、これからも音楽を仕事にする事は無いでしょう。ですが、あの頃の経験があって今の自分があるのは事実ですし、あの「指揮棒が降りる前の一瞬」のようなものを仕事や趣味の中で求め続ける、それが自分なのかなぁ、なんて思います。
 ・・・何か今日も長く書いてしまったw。