静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

問題意識、って言う事なのかな?

id:fuku33さんの「福耳コラム」と言うのをアンテナに入れてあって、気になる記事が引っかかってくると拝見させて頂いている訳なんですが、今日はそれこそ「クルマいらずの地域が形成されつつある?」と言うエントリで。原文を読んで頂いた上でこのエントリをお読み頂ければ幸いかと。


 論としては「地方社会でも、案外【車】って言うものが不要な世の中になってきてね?」って言うのがおおまかの趣旨。まぁ、確実に東京のような大都市では【車】を持たなくても生活できる訳ですし、そんな流れが地方都市にも徐々に及びつつあるって言うのは確かに認める部分なんですよね。実際、我が家の近所にある東静岡駅・清水駅・静岡駅の駅近辺にはマンションが出来ていたりとか(それこそ20年前では考えられなかった話ですが)、草薙駅前にも再開発の時にマンションが出来るって言う話も聞いて居たり。確かに言われてみれば「地方でも車は要らない」って言う世の中の流れが小さいながらも出来ているのかなぁ、なんて思う所。
 とは言え、現実的に自宅なんかがそうなんですが、路線バスは通ってないわ、自転車だとトンでもない坂道を走らなくてはならないわ、おまけに歩いて行ける程近所にお店は無いわ・・・って言う事で車が無いと生活できないって言う所もあったりするのが実際の所で。


 時々書いている我が家の例。
 造成から20年ほど経過した新興住宅地になる訳なんですが、当時その宅地を買った人の年齢層を考えると大体40代から50代。環境は最高ですし、騒音もそんなに無い。ここに住むと都心の込み入ったところに住みたくなくなるよね、なんて事を言っていた人が引っ越しするケースを最近ちょくちょく見かけます。漏れ伝わってくる理由を聞くと「車が無いと生活できないけど、もう怖くて車を運転したくない」って言う理由なんですよね。で、それに対して地元のバス会社が新規にバス路線を開設するのかと言えば、それらしき下見のようなものをした、と言う話は噂レベルで伝わってきても実際に開設には至ってない訳で。まぁ、バス会社も企業ですから「儲からない路線はやりたくない」って言うのが本音でしょうし、それが最大の理由だと思います。仮に乗ったとしても草薙駅からだと200円程度の運賃になるのかなとは思います。あた、恐らく路線が開設されても1本/時間と言う本数があれば御の字になるでしょうから、利用客も利用客で「使えない路線だなぁ」って言う事で恐らく終わってしまうのかな、とは思うのですよね。
 けれども、そこに某かの「需要」があるわけで、仕組みとして「その需要を満たす事ができ、かつ、それで収益が得られる」ものを創る事ができるのであれば、何らかの形でこの問題を解決できるのかなと思うのです。


 それこそ「自家用車の相乗り」であるとか言うのも1つの方法であると思いますし、住民が組合を作ってバス事業者(この場合は別に路線バスを運行している会社じゃなくても全く構わない)に運行を依頼して、って言うのもアリだと思います。また、ショッピングセンターが自店舗への誘客を目的とした送迎バスの運行をしても全く構わないと思いますし、色んな面で具体的な解決策があるとは思うのですが、根本の問題として出て来るのは「地域の人の話し合いの場」なのではないかな、って思うんですよね。要するに「共通の問題意識」として認識できるかどうかと言う事だと思うのです。これは交通だけじゃなくってあらゆるものについて言えるのかなと。


 生活の中に転がっている様々な事象に関して「これってどうよ?」と考えてみる。それで現状OKならそれはそれで構わないですし、「こうした方がいいんじゃね?」って言うようなものがあるならば自分なりにその解決方法を考えてみる、そんな考えた事をBlogやら何やらで書きながらブラッシュアップしていく事によって様々な人の目に触れるかもしれないし触れないかもしれない。叩かれるかもしれないし、叩かれないかもしれない。だけど、そんな事を繰り返していく中で「これは!」と言うものが見つかるのかもしれないなぁ、なんて思って見たり。


 だからこそ、おいらは



そういう不確かなものについて、考えることは悪いことではない。確かになってから考えては遅いこともあるでしょう。企画とかベンチャーとか、自分は妄想から始めてもよいと思っておりますね。
クルマいらずの地域が形成されつつある?■福耳コラム(5/21確認)


 こう言う考え方はアリだと思いますし、こんな妄想から始まる「議論」が出来る場と言うのは色んな場面において必要だと思うんですよね、当然その議論の場では相手へのリスペクトがあってこそ然るべきなんですが。