静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

ミクパ行ってきたのだが。

 と言うわけで、昨日は年度末のこの時期にも関わらず休暇を貰って東京方面へ出かけてきました。Vocaloid Cafeも行ってきたりとか、秋葉でMacBookPro 13inchの交換用HDDを買ってきたり、ビックサイトでやってた展示会を観に行ったりとか(何故かここで仕事モード突入)、青海のミクパ本会場でパンフを買ってみたりとかと言う長い長い前ふりを経て・・・結局Zeppのチケットが取れなかったので、新宿でシアタービューイングを楽しんできました。
 以下、害にも毒にもならない駄文なので、お約束のごとく折り曲げておきます。あと、このBlogの中の人は新宿ピカデリーで見た事を補記しておきます。後ろのほうではありましたが、スクリーンのど真ん中と言う良好な座席でした。
 #mikupaあたりで色々と書かれていましたが。
 個人的にはやっぱり「年度末のこのクソ忙しい時期に休暇を取って、静岡に帰ってくるのが午前様なのに翌日は何事もなかったように仕事」と言う状況ではありましたが、シアタービューイングであっても「やっぱり行ってよかった」と思いますし、来年もあるのならば、これはライブ会場にやっぱり行きたいです(シアターであっても行くのだろうけどね)。
 まず、選曲の話から。研修期間中に助けられた「ARiA」や、沿岸バス会社の車内放送動画で使った「ココロ」があったりしたのは個人的にはよかったですし、他にも「歌にかたちは無いけれど」とか、研修の卒業旅行中に金沢のマクドで動画を落としてリッピングして、北陸ドリーム名古屋号で聴き倒した「カラフル×メロデイ」があったりしたのは、「曲にまつわる思い出」とリンクして、それだけで正直涙腺崩壊ものでした。ただ、その反面で最近の曲は正直わからないのも多く、謎の30分休憩前の前半に関しては付いていくだけで精一杯と言う状況でした。
 次に演出の話。この部分はプロジェクターの話とか色々と問題を呼んでいるみたいなのですが、個人的には去年の透過スクリーンもよかったのですが、今年の背面から映しだすプロジェクタもなかなか良かった部分もあり、「正直一長一短かな?」と思いました。「マージナル」の指から出る虹(だっけ?)の表現もよかったですし、「初音ミクの激唱」のモジュール変換の演出にはゾクゾクって来ましたよ。ええ。嘘ついても仕方ないですから(笑)。
 でも、個人的に一番腑に落ちなかったのはバックバンドの紹介一切なし、って言うところです。去年の感謝祭でもそうですし、一昨年のフェスの時もそうでした。他のライブでもそうですし、クラシックのコンサートでも演奏が終われば指揮者が演奏者を紹介するような事はやるのですが・・・一切ありませんでした。ライブってメインに立つ人だけじゃなくって・・・バックバンドの人、本当の裏方の人も含めて創り上げるもんじゃないですかね。そんな部分への「主催者からのリスペクト」と言うものが 全 く と言っていいほど感じられなかったのは気のせいですかね、おいらの。演奏は普段MaciPhoneで聴いているものとは全く違う「生」の感覚がビンビン伝わってきただけに、正直残念。(あと、新宿で見ていた、と言うことで言えば、リン・レンがボーカルやっているときの音の歪が正直ひどかった事も書いておきます。どんな歌詞なのか全くわからなかったですよ、曲を知らないおじさんには)
 進行の話で言えば・・・なんで30分の休憩なんか入るの?ってところでしたが、後になって色々と見てみると別の所でやってたニコ生が割り込む予定だったみたいなんですが。まぁ、不測の事態だったって言う事もあるのかもしれませんが、ローリングプランをしっかり作っておいてくれよってのが本音。

 こんなあざとい動画(笑)は大好きなのですが・・・あざとい動画でもそう何回も見てられるものではないですし、せめて不測事態対応のために別バージョンでも作っておいたほうがよかったのでは?と思うところです。
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 まぁ、色々とありましたが、帰りのバスの中でふと思ってしまったのは、「自分はミクさんの事をどう見ているんだろう?」って言うところなんです。キャラとして見て居るのか。それとも楽器としてみているのか、両方の観点から見ているのか・・・正直わからないんですね。この間なんかは雪ミクさんのねんどろいど買いに、ドリーム静岡・浜松号に乗ってわざわざ東京まで行ったりとかしているし、傍から見れば「それってキャラ好きだよ」と思われても仕方ないのかな。と思う反面、ミクさんの曲だからと言って何でも聴いているわけではなく、自分の琴線に触れる曲をセレクトして聴いている、って言うところもあったりします。
 これは、別にVocaloidを使った曲だから・・・っていうものではなく、音楽と言うものの特性だと思うのですが、いろんな場面で聞いた音楽と言うのは「その人の記憶」に繋がるものだと思うのです。研修から静岡に帰ってきて半年以上経過してますが、大変だった実習の間に聞いていた曲を今改めて聴くと、その頃の風景が頭の中に鮮明に蘇ってくるんです。いろんな部分で音楽に助けられて来たと思いますし、その「音楽」の後ろ側には「この想いを伝えたい」と言う創り手側の【熱い気持ち】と言うのがある、と言うのも知っています。自分は音楽を「作り出す」事は残念ながら叶いません。ですが、そんな「音楽」を聴くことによって得た「前向きな気持ち」を自分の中で解釈し、自分のできることに変換して、それを仕事やプライベートを問わず「前向きになれるような気持ち」を伝えていきたい、と思っています。それが創り手の方への最大限のリスペクトだと思っていますし、それをしなかったら音楽を聴く資格はない、そこまで思っています。ただそれが、自分にとってはVocaloidを使った曲だったりすると言うところなんですよね。創り手の「荒削りだけど、圧倒的なその【想い】の大きさ」に惹かれた、と言うものだと考えています。
 ただ、そうなってくるとVocaloidのキャラクター好きと言う観点から今のmovementを応援するのがいいのか、作り手であるP(Producer)を応援するのがいいのか・・・と言うことが少し自分でも疑問になってくるのです。ぶっちゃけ言えば、今のボカロ界隈って言うのはこの部分が非常にスレスレの状況にあるのではないか?と言うように思っているところなんです。キャラとしての人気に頼るのか〜個人的には「産業」と言う観点で見る事ができるとおもうところ〜、それとも「歌うソフトウェアとしての先進性」を活かしていくのか〜個人的には「アート」と言う観点なのかなと思うところ〜と言うところでギリギリのバランスを保っている、そう考えてしまうんです。色んな部分での「抱えている問題」が昨日のミクパを巡る議論の中で顕在化した、そんなふうに捉えてしまうのが出来るのでは?と考えているんです。個人的には当然「いい関係」をつくってほしいと思うところなのですがね。確かにライブそのものは楽しかったけど、作り手へのリスペクトは必要だろうし、作り手があったからこそいまのムーブメントがある、そうかんがえるところです。
 何故人間が「遊ぶ」のか、何の一銭の得にならない事に血道を上げるのか、そこは考えなくちゃならない所だろうし、コンテント産業を考える上では避けては通れない所だと思います。

 少なくとも、経営の観点からだけでは考える事は出来ません。

 色んな所で文化サイドの人も産業サイドの人も悩み、なんとかしていい方向性に持って行きたい、そう思いながらもできないでいたりとか、色々と試行錯誤をしてはいるもののなかなかいい結果が残せない、そんな部分があるのかと思います。一番いいのは、「経営がわかるクリエイター」と、「クリエイターが分かる経営者」が出会える環境(twitterとか色々とあるとは思いますが)があればいいとは思いますが、やはりまだそこまで使いこなせる方はごくごく普通の中小企業レベルでは難しいと思いますし、産業サイドも今までの「成功体験」に縛られているだけに難しいところがあるのではないかと思うわけで。そうなってくると、その両者をつなぐインタープリターと言うかトランスレーターと言うか、・・・う〜ん、そこまでまだ行かないのであればやはりエバンジェリストがこれから出てこなくてはならないのでは、と思うんです、と言うかそんな存在をどうやって創りだしていくのか、その「仕掛け」を地方レベルで考えていかなくてはならないし、今の自分の本業の中でも考えていく必要がある、と思うんですよね。難しいですが。
 とまぁ、ミクパの話をしていたつもりが地域文化産業政策の話になると言う妙な暴走っぷりですが(何、いつものことだ。大丈夫、問題ない)、ミクパに関して言えば、主催会社がミクパをどんな経費積算をしていたのかは興味が無い・・・と言えば正直嘘になります。だって、やっぱり「企業」ですから。最終的には経常利益を出して税金払って社内に再投資のための内部留保積まないとならないですからね、企業が継続していくためには。
 だけど、「お客様視点」って言うことで言えば、やっぱ来場者から一定の不満が出ているのはやはり問題。本来なら優良な顧客なのにクレームが出ると言うのは・・・相当な事だと想います。ですが、そのクレームを見事に解決策出来れば評価は思いっきり好転する訳ですし、もし来年も同じ主催者がやるのであれば、どんな風に今回の結果をフィードバックしているのか、そこを見てみたいところです。
 大人(って言うか会社)の世界が汚いのは正直仕方ない。黒字倒産資金繰りの失敗が原因での不渡発生が原因)も有りうる。まともな会社ならば「従業員の生活を守る」ことも企業の存在意義です。とは言え、「顧客の望む何か」を提供することはやっぱり重要だし、顧客の望むものを提供できない企業は市場から淘汰される。まともな企業ならば何かあってもそれを糧にできるけど、まともじゃない企業は糧に出来ずに同じことを繰り返します。
 それ故、いい所は明確に「いい」と言い、ダメな所は明確に「ダメ」と言う。それが昨日の件に対する自分たちのできる事なんじゃないだろうか?昨日の件はボカロと言うムーブメントの一面に過ぎない訳だし、代替技術は他にもある。この件だけで「ボカロ関係は終わった」とは思わないし思いたくもありません。
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 何か色々と長く書いてしまいましたが、昨日のおでかけでこんな事をこの親父は考えてしまった、なんて思って流してもらえてば幸いかと。