静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

■My Music History



■My Music History〜小学生から高校生まで〜
 音楽は小学生の頃から良く聴いておりました。
 親父のLPレコードにあった「ウェストサイド・ストーリー」の「体育館のダンス」(だったっけかな?)を聴いて「無茶苦茶格好いい!」って思ったのが最初のきっかけになるのかもしれません、音楽の道へ足を踏み入れる。まぁ、その後は小学生のガキンチョのくせしてJazzを聴いてみたりとかしていたんですが、転機になったのは、小学校5年生の頃でしょうか。この頃からすでにSouthern All Stars(確か「人気者で行こう」って言うアルバムの頃だった)に耽溺していると言う状況であったにもかかわらず、悪友のF君(某N津市内にある文房具屋さんの息子)とつるんでいたおいらは、洋楽に手を出すと言うとんでもない状況になってしまっていた訳で。当然リアル小学生なのでそう易々とCDも買えませんので、当時放送していた「ベスト・ヒット・USA」を録画して、そいつをカセットテープに落とし込んでいたと言う事をやっておりました(汗。で、その頃お気に入りだったのがCulture Clubの「カーマは気まぐれ」とか「戦争の歌」って言う訳なんですから、小学生のクセしてませた音楽を聴いていたと言う訳なんですわ。
 んまぁ、そんな状況の中で中学入学と同時に吹奏楽部に入部。Clarinetを担当する事になって、ここで色んな曲を聴くと同時に演奏するようになったのです。まぁ、例えばShostakovichの"Symphony 5 Allegro non troppo"を定期演奏会をC1の時に3rd Clarinetでやり、Tchaikovskyの1812 OvertureをK3の時にSolo Clarinetでやっていたりとかしました。このTchaikovskyの"1812 Overture"に関しては・・・正直泣かされました。いや、マジで。今まで3rd Clarinetばっかりやっていたおいらは「低音〜中音域」に関しては自信があったんですがどうも高音域に関してはそんなに出した事が無く、マジで口が切れる思いでやっておりました。ええ、正直何度挫けそうになった事か。
 そんな中で、ある事件がありました。それは、Tchaikovskyの"1812 Overture"を定期演奏会でやったとある高校(県立S高校)が本番で「やりなおし」をしてしまった、と言う話でした。「何て言う曲をやっているんだ」と思いながらも、「自分たちはやり直し無し、一発でやってやろう」と言う事でボルテージが上がっておりました。ええ、申し訳ないと思いながら・・・。井川の山奥での秘密合宿(全然秘密ちゃうやん)やら、かなり激しく練習をやって当日は本番に臨みました。
 当日、このTchaikovskyの"1812 Overture"に関しては、座っている場所が場所だったので、おいらがConcert Masterをやる形になっていました。「とにかく、全力を尽くして行こう」と言うわけで。そして、タクトが上がり、幾つもの引っかかった部分を通り抜け、タクトが止まる瞬間まで気を抜くことなく。そして、終わった時、指揮者であるW先生の笑顔。そして、全員に立つように促す仕草は、あれから10年以上経った今でも忘れる事はありません。
 その頃、聴いていた音楽は・・・と言うと、Classic系も聴いていましたが、The Alfee辛島美登里、そして書くのも恥ずかしいんですが、アイドル系で言えば南野陽子なんか。ただ、南野陽子に関しては、当時JR西日本がイメージキャラクターで使っていたって言う鉄道マニア系な要素もあったんですけどね(苦笑)。まぁ、大学に入る前って言う事で言えば、The Alfee辛島美登里、そして岡村孝子を聴いているって言う感じでした。

■My Music History〜大学生の頃〜
 その後、大学に無事進学し、大阪で一人暮らしをするようになりました。初めは吹奏楽部に入ろうか?と思っていたんですが、結局の所は体育会系(嘘)鉄道研究部に入部する事になった訳で。まぁ、有る面では順当な進み方ですし、この鉄道研究部に入らなかったら今の自分も無い訳ですから、それはそれでいいんです。別に。
 ただ、そこで二つの新しい方向性が音楽の嗜好に加わる事になりました。それは、Jazz/Fusion系を更に聞き込むようになったと言う事と、アニメやゲームのサントラも聞き込む事になったって言う事です。いやぁ、何かもうアレですよ・・・って言う感じではあったんですが(苦笑)。
 まずは、Jazz/Fusion系なんですが、これは何の影響なのかなぁ・・・って考えるとJ-WAVEの影響だったりします。何故大阪に住んでいるのにJ-WAVEかって?それは、当時のおいらは新幹線の車内販売のアルバイトをしており、しょっちゅう東京泊のコースに入っていたからなんです。夜寝るときにはラジオを聴きながら寝て、朝宿泊所から東京駅に向かう送迎バスの車内でもJ-WAVEを聴いていた訳なんです。そんな中で、Dave GrusinやPat Metheny、Acoustic Alchemyと言った海外アーティストを知って、バイトで稼いだお金をCDにつぎ込むと言う形になっていったのです。
 では、大阪に居るときは一体どこの局を聴いていたのでしょうか?それは大阪府民でありながらもKiss-FM(神戸のFM局です)を聴いていたんですわ。FM802も時々は聴いていたんですが、どうもガチャガチャ五月蝿くてかなわんわ、って言うのが当時の感想で。その点、Kiss-FMは結構しっとりとした選曲で落ち着いて聴けたって言うのは確かにありますね。当時は独自のプログラムを持っていて「神戸らしさ」を感じさせてくれるFM局でした。ただねぇ・・・、「Kissner's Radio Jack」って言う番組があったんですが、このDJのSHINGOって香具師がマジで弾けておりましたw。おまい、こんなのが許されるのか?って感じで。時にはα-Station(京都のFM局です)も聴いていましたが、なかなか電波が入りにくいって言うのが実際のところでした。まぁ、そんなこんなでJazzやFusionと言ったジャンルを聴くことが定着しました。
 その一方で・・・アニメのサントラにはまったのもこのころでした(w。おいらの場合の「ハマるアニメ」って言うものが結構偏っておりまして、まず第一条件として「音楽のクオリティが高いかどうか」って言うのがありました。その上に話のストーリーはどうか、そして、最後にキャラクターが魅力的かどうか、って言うようなステップを踏んでいました。で、そんなおいらの偏ったお眼鏡に適った作品は、って言うと「ママは小学4年生」、「ミラクル☆ガールズ」(大阪じゃ朝の0530頃に放送していましたよ。当然ビデオ撮りw)、「姫ちゃんのリボン」、「赤ずきんチャチャ」「ナースエンジェルりりかSOS」って言った所位しかありません、ってこんなもんか・・・って今になっては思うんですが(苦笑)。もっと見ていたような気がするんですが、まぁ、印象に残っているのはこの位です。セラムン?見なかったなぁ。話が余りにもベタ過ぎたし。ただ、EDの「乙女のポリシー」って言う曲は好きだったけどな。
 で、そんなこんなでClassicからアニメサントラまで聴いて居たわけです。そのミクスチャーぶりは変な所で役立った訳で。例えば、部活でやった「(関西)学鉄連クイズ大会」なんかの時には、会場を盛り上げるためにおいらの持っている曲から選曲をしたりとかしていました。オープニングの曲は「赤ずきんチャチャ」の「マジカルヒロインホーリーアップ」(変身のバンクに使われた曲)であったりとか、会場を煽る曲として東京パノラママンボボーイズの曲を使ったりとか、「UNITED FUTURE ORGANIZATION」の「Loud Minority (radio mix)」をフロアにたたき込んでみたりとか・・・何かやりたい事やってましたw。(今、久々に聴きたくなって
iTunesに取り込んでいますが・・・(・∀・)カコイイ!!)まぁ、そんなこんなで色んな悪戯をしながら大学を卒業したって言うのが実際のところだったりします。

■My Music History〜社会人になって〜
 まぁ、社会人になってからも、色んなジャンルの曲をバランス良く(って言うのかどうかは疑問なんですが)聞き込んでいたんですが、パソ通(懐かしい響きだ!)の仲間から「Kanon」と言うエロゲーを薦められたんですわ。「三番蔵(当時はまた別の仮称だったんですが、それはそれで別の話)さんだったら、こーゆーの好きなんじゃないのかな?」って言う事で。で、やってみたんですが(当然ですが、その頃からMacintosh使いでしたので、Windowsマシンは持ってませんでした。当然、Soft WindowsWindows95を突っ込んでPowerMacintosh7500/100の上で強行プレイ)と言うアホな事をやっていたんですが・・・、この世界にハマってしまいましたわ、ええ、正直な話。
 で、ここで何にハマったのかと言えばOP曲の「Last Regrets」とED曲の「風の辿り着く場所」、すなわち道産子ポップのI'veの音楽の世界にハマってしまった訳なんですよ。Tranceをベースにした、今まで自分が聴いたことの無いジャンルの音楽でありながら、歌詞はその物語の世界と見事なまでのリンク。いや、三番蔵(仮称)が中毒るのも必然の結果だったのかな・・・って思います。そして、爾来I've Sound無しでは生活が出来ない体になってしまった訳で。最初の頃は曲を集めるのに中古のエロゲーを買っていた訳なんですが、その頃になるとパソコンそのものの性能も上がり、"MP3”と言うファイルフォーマットも普及しはじめて来ており、CDからリッピングしたものをパソコンに突っ込み、ゲーム本体はやらないと言う状況(まぁ、グリコのオマケモードですな)になって来ると言う状況になってきました。最初の頃は、これらの曲をCDに焼いていた訳なんですが、世の中は進歩していました。"iTunes”と言うソフトがApple社から登場したんです。今でこそiPodと一緒にWindowsの世界も席巻しておりますが、当時はMacにしかないソフトだった訳で。で、そこからおいらの音楽アーカイブズもデジタル化することになってきた訳です。
 そして、忘れもしません。2001年11月28日、iPodが登場しました。「画期的なデジタルデバイス」と言う事で「一体何が出るのか?」と不審がっていた訳なんですが、5GBのハードディスクを積んだミュージックプレイヤーと言う事が分かったとき、速攻予約に走りましたね。ええ、速攻。このころには母艦もiBookになっていましたし、すでにOSもMacOSXに移行していた状況だったと思います。そして、色々と音楽を詰め込んで来て、今では手元のiPodもすでに3代目のiPod miniになっており、「お財布・定期入れ・ケータイ・iPod」と言う事で、出かけるときには欠かさず持っていくアイテムになりました。
 そんな中で、エロゲーやりーの、コミケに参加しーの、で巡り会ったものが「同人音楽」です。元の曲をそれぞれの感性でアレンジしたCDは、また新たな物語の展開を予感させてくれる訳で。いや、正直、本を買うより音楽CDを買った方が長く楽しめるって言うものもあるんですが、そのジャンルにも足をツッコミ、爾来今に至るまで気に入ったサークルさんのものは買い続けております。


長くなってしまいましたが、これが私の音楽遍歴です。
本当に気長に書いていきますので、気楽に読み流して頂ければ幸いです。