静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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思いも寄らない

「そう言う訳だ。」
「はぁ、分かりました」
ボスの長い話から解放されて、オフィスに戻った。
「全く、何でこんな展開になるのかなぁ」
私は、そんな事を思いながら明日の仕事の事を思った。
「もう、1年経ったんだよね」
そう、この仕事を始めてからの話。一度家を出てしまうとなかなか自宅には帰ってこれない仕事とは違って、あの仕事ならば比較的早い時間に帰ってくる事ができる。今までは妹がこの仕事をメインにボスから任されていたけど、今では違う。みんなしてあの仕事をやっている。
「あの子ばっかりずるい」
なんて言う話をするのも聞いたこと有るし、「私だってあの仕事を本当は一度してみたいんだけどね」なんて言う言葉も聞いた事がある。だけど、そこらへんはそんなに気にしていない。いつもとちょっぴり違う場所を走るだけ、そんな事なんだから。さぁ、今日はもう寝ましょう。
****
この間のダイヤ改正から、東京で一休みする時間が少しだけ長くなった。そう、家族じゃないけど、私たちの仲間にあたらしい子が一人加わったんだ。今日はその子に会う事ができる初めての日。何故だか私も少し楽しみな感じ。折戸の車庫まで行ってから仕事を始め、東京の休憩所に着くのはお昼を少し回ってから。
「こんにちは、7806便でーす」
「おう、お疲れさん。あんまり時間がないけどゆっくりして行きな」
「ありがとうございます。」
しみずライナーの仕事だけで東京の休憩所に来る訳じゃないからみんな結構顔見知りだったりする。東北の方から夜通し走ってきて寝ている子も居れば、夜の青春ドリーム号で走っている時に見かける顔も居たりする。そんないつも見る顔の子たちの中に、初めて見る子も居たりして。
「あ、あなたが今度からしみずライナーで走り始めた子ね。よろしく」
「初めまして、よろしくお願いします」
結構可愛い男の子だったりする。でも、何か妙にこっちを見る目がとげとげしかったりするのは気のせいなのかなぁ、なんて思ってみたり。まぁ、仕方ないよね。一ヶ月もしてないんだから慣れない訳だし。
「どう、この仕事慣れた?」
「いえ、まだ先輩の皆さんみたいに走り込んでないので慣れないです。」
「ふーん、そうなんだ。」
・・・・
・・・・
・・・・
 長い沈黙。何かちょっと気まずい。
「ひょっとしたらお姉さんの事意識してるのかな?」
「べ、別にそんな事はありません!」
「ふーん、そうなんだ。だったらもっと色々楽しくお話ししてもいいんじゃないかな?」
「それは出来ません!私はあなたたちと一緒に仕事しちゃいけないんですから!」
・・・・
・・・・
 え?それってどういう事?折角人が気にしているって言うのに。
「ちょっとあんた、一体何言ってるのよ?曲がりなりにも私は貴方の先輩なのよ!」
「それは分かります。でも、でも・・・」
ははーん、何かやっぱり隠していたのね、って言いながら思い浮かぶ事は一つしかない。そう、この子の家で今月から走り始める新宿行の事が頭に引っかかっているのよね。
「ひょっとしたら、新宿行の事でしょ。別に私は全然気にしちゃないんだけどねぇ。一体誰に何を吹き込まれた事やら」
 そんな風に少し意地悪く言ってやった。
「まぁ、確かに私の明日の仕事は新宿に行く仕事だけどね。あなたの仲間が行かない新宿の方に。それも渋谷も行くんだよ、いいでしょー」
あ、顔を赤くしている。やっぱこうやって弄るのは楽しいよね。
「別に気にしちゃなんかいません!どうせ僕は新宿なんか行かないんですから」
「あーあ、すねちゃってるよ、この子は」
なんて更に弄りまくる。
「でも、何で私とあなた、敵同士なのに一緒にここで休んでいるんですか?」
「さぁねぇ、私も知らないわよ。そんなのお互いのボスが決める事なんだから。でもね、これだけは確かかもしれないよ。」
「これだけは、って?」
「私の先輩が、初めて東名高速道路を走り始めた事って知ってる?」
「知らないです。」
「まぁ、何も聞いてないのね。じゃぁ、教えてあげるわ。」
この仕事を始める前に聞いた大先輩からの話を早速してあげた。まずは私の先輩たちの話、そして私の仲間たちの今までの話。
「でも、その話って僕に何か関係あるんですか?」
「ここからがあなたにとって大事な話なの。しっかり聞きなさいよ」
「はい。」
うんうん、聞きたがってる聞きたがってる。
「実はね、あなたの大先輩も東京まで、いや、厳密に言えば渋谷まで来ていたのよ。色んな事情があって4年くらいしか走らなかったんだけど、あなたたちのメインターミナルの新静岡から渋谷駅まで、一日確か・・・10本くらいだったのかな、毎日走っていたの。確かに競争相手かもしれなかったけど、お客さんはやっぱり乗ってたし、行き先も違ったから使うお客さんも違ったけど、本当にいいライバル同士だって言う話だったんだよね。」
「そうなんですか。てっきり『高速バス第2弾』なんて僕が言われていたので、今の家の話だけかと思ったんですが、全然知らなかったです。」
「でもね、その先輩たちでも出来なかった事があるんだ。」
「それは何です?」
「今、あなたが毎日通っている所に来る事なんだけどな」
「東京駅への乗り入れですか?」
「そう、あなたは、初めて東京駅までお客さんを乗せて来たんだから、その事だけはまずは誇りに思っていいって思うんだけどね、私は。」
「そうなんだ・・・」
「私たちの事を『敵』って思うのは、それはあなた達の自由だからどうこう言う事は出来ない。けど、東京駅に入る仕事をしている以上は私たちの大事なパートナーなんだから、『敵』なんて寂しい事を言うのは無しね。」
「わ、わかりました。」
「それと、静岡から新宿に行く路線だって、確かにぱっと見は競争相手かもしれない、いや、競争相手だと思う。だから私は新宿の仕事をするときは、あなたの仲間に負けないようにやるつもり。一人でも多くのお客さんを乗せて走りたいと思うの。だから、あなたたちも私たちに負けないように一生懸命にやって欲しいんだ。」
「でも、僕は新宿行かないんですよ?」
「う〜ん、分かっちゃないなぁ。どうせ何かの機会に会ったりとか、ボスにこの話もするんでしょ?だったらその時に伝えなさいよ。」
「そうですね。すみません」
「最終的に私たちを選ぶか、あなたたちを選ぶか、それはお客さんなんだから。けど、大事なのはお客さんの役に立つ事なんだからね」
「はい、分かりました。これからもよろしくお願いします。」
「こちらこそ」
***
 その日はそんな事を話して別れた。どこまで本当に分かっているかはよく分からないけど。
 それでも、あと数日で時には「ライバル」になり、時には「仲間」になるパートナーが生まれる。
 そんなパートナーを大事にする事、それは「真っ向から向かっていくこと」なんじゃないかな、って思う。

 「お待たせしました、超特急渋谷・新宿行です」
 さて、今日も一生懸命頑張りますかね。


JR東海バス 名古屋支店 747-03954号車 「渋谷・新宿ライナー静岡号」