静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

このまちが,好きですか?

 まぁ,ゲームの感想のようなものになってしまうかもしれないんですが,色んな事を考えさせられ,大いに笑い,泣き,そして考えさせられたGWでした.
 何がか,って言えば「まちと人の絆」って言うものなんです.
 おいらが思う所の「まち」って言うものは,色んな想いを持った人が集まってお互いに共鳴しあい,新しい波動を産み出す事によってさらに新しい人が集まれるような空間なんじゃないのか?って思うんです.それが「まち」の持つ魅力だと思っている訳で.でも,CLANNADをやってそれだけが「まち」の持つ魅力じゃないって言うのに今更ながら気付いたって言うのが本当の所なんです.まぁ,今頃気付くなって言われればそれまでなんですが・・・.
 「帰ってくる事が出来る場所」であり,「想いを繋ぐ事が出来る場所」であるって言うのが「まち」の持つ役目じゃないのかな?って思うんですわ.確かにそれは取りようによっては後ろ向きな考え方かもしれません.発展はしなくていい,変わらなくていい,って言うように取られてしまいそうですから.でも,決してそうじゃないって思うんですわ.朝,会社に出かけ,夜には疲れて家へ戻ってくる.そんな「家」っていうか「家族」のような存在なんじゃないでしょうか,「まち」って.疲れてしまえば帰ってきて英気を養ってまた出ていけばいいワケですし,いつも新しい事を産み出しっぱなしでは正直疲れてしまう事もあるでしょう.そんな帰ってくる事の出来る場所,それが「まち」の持つ役目ではないでしょうか.
 そして,「想いを繋ぐことが出来る場所」っていう事で言えば,その「まち」の持っている記憶を前の世代から引継ぎ,そして,自分たちの次の世代へ引き継ぐって言う事が出来る場所なんじゃないのかな?って思うんです.まぁ,彼女すら居ない自分が言うのもおかしい部分はあるんですが,このまちに生まれ(自分自身はこのまちにすら生まれていないですが),そして育ち,次の世代にこのまちを引き継ぐって言う事を考えればおかしくはないかな,って思うわけで.Privateな事を抜きにしても,今を生きている自分にしてみれば・・・って思うワケなんです.
 そんな中で今,自分は一体何をやっているのかと問うてみます.
 そんな色んな人の「想い」を叶えるための間接的ではあるもののお手伝い.
 まちの「想い」が消えないようにするためのあり方の研究.
 地味な事かもしれません.だけど,何か自分がやっている事の方向性に間違いは無いんだな,って思っています,と言うか思わせて下さい.
 見た目は地味かもしれない,けど,そこのまちに住む人がお互いに笑い合って過ごせるようなまち,そして,一人でも多くの人が「このまちが,好き!」と心から言えるようなまちを作るため,「一生懸命やりたい!」って言う人を増やすこと,それがおいらのやっている仕事の意義なんじゃないのかな?って思います.ハードやソフトなんて事じゃない,一人一人の想いに真っ正面から応えるような事ができるような仕事をやりたい,って今は本当に思います.
 確かにまちは変わっていくものです.
 ですが,その根底にあるのは「まちの想い」であり,「まちに住む人の想い」じゃないでしょうか.そんな「想い」に耳を傾け,その想いを明日へ繋ぐ事,それがおいらの仕事です.また,明日から頑張ります.ちょっと位残業が多くても.
 おっと,その前に,自分がこのまちの事を「大好き!」と言えるように.