静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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清水の七夕まつり

 昨日の話なんだが、前年度にウチの会社へ中国から来ていた研修生が仕事で静岡に来ている、と言うので、同僚と一緒に清水に飲みに行く。その前に少し早めに来て七夕祭りを歩いてみた。普段はそれこそそんなに人も多くない商店街が綺麗な七夕飾りに彩られて、そこに色んな人が歩いている。浴衣を着た女の子や、家族連れのお父ちゃん。いやぁ、いい感じですねぇ。でも、そこに歩いているおいらは一人って言うのがぶっちゃけ(´・ω・`)ショボーンなんですが。まぁ、それはそれで別の話だが。
 考えてみれば、こーゆー風景をこのまちで見るって言うのは凄い久しぶりのような気がする。まぁ、確かにここ最近じゃ学校帰りに時々乗る「ホームライナー静岡3号」で降りたとき位しか無いんだが、それでも、何回かこのまちに来る事もあるんだけど、どことなく「寂しいよなぁ」って思うところも有るわけで。けど、そんな中で確かに「何とかしたい」って必死になっている人もいる。けど、周辺状況がそれを許さない。
 産業構造が大きく変わってしまい、昔のような賑わいが清水港にあるか?って言われれば確かに「無くなった」としか言いようがないし、それが故に賑わいも過去の物語になってしまっているって言う現実は存在する。けど、この七夕のお祭りの日は、それこそ清水だけじゃない、静岡や富士からもお客さんがこの清水のまちにやってくる。この意味って一体何なのかなぁ?って思わず考えてしまう。
 まぁ、「祭り」って言う非日常の空間がそこに広がっていて「ドキドキ」や「楽しみ」がそこに存在しているから、って言う答えが安直に出てきてしまうんだげど、どうもそれだけじゃないような気がする。「祭りを盛り上げたい」って言う想いが色んな人に伝わって、その想いの共感があの場を産み出しているんじゃないのかなぁ、って思うんだが、果たしてソレは間違いだろうか?
 七夕祭りだったら仙台や平塚の方が正直全国的には有名だし、平塚の七夕祭りなんかは、帰りの電車に乗りきれない程の人が居たって言う話だし、絶対動員数としては清水以上だと思うんだが、それでもやっぱりおいらはこの清水の住人だし、同じお茶だったら清水産、みかんだったら清水産、サッカーだったらエスパルス(まぁ、なかなか優勝できないのが歯がゆい部分ではあるんだけどね)、って言う事はやっぱり思っている。言うなればTown Prideってもんをこの清水のまちに持っている訳で。恐らく、そんなTown Prideを持っている人が多く集まって、その想いを「誰かに伝えたい」って言う必死さではなく、「俺ら、やっぱやってて楽しいもんね」って言うような気持ちでやっているって言うのが一番の強みなんじゃないのだろうか。
 じゃぁ、何でそんな想いを持つのだろうか?個人的には、やっぱり「そのまちの持つ地域性」って言うもんじゃないのかな?って思う。そういえば、この間(って言っても5月だけど)エコパに見に行ったエスパルスvsジュビロ戦では「Jirocho Splits Never Die」って言う横断幕?が出ていたし。何かそんな「港町」の持つ独特の空気があるんじゃないのかなぁ、って思う訳で。誰をも受け入れる、決して閉鎖的じゃない雰囲気、けど、そこには確固たる「漢気」があるのではないだろうか。すげー漠然としたものでアレゲなんだが。
 新しい事を始めようとするとき、既存のものが邪魔になってしまう。まぁ、それは確かにあるし、おいらもマジで認める所ではあるんだが、既存のものを活かしながら新しいものを取り入れる、それもあって然るべきなんじゃないのだろうか・・・。