静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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地方議会&住民投票

 昨日書こうと思いながら、いい感じで別方面の電波が来ていたので書けなかったネタを。


反対派は一生懸命に反対運動するから投票しますが、大半の人にとっては(しかも吸収する側の場合)、どうでもいいわけです。民主主義で自分たちの選んだ議員さんたちが決めたことなのだから、一任でいいわけです。
それを全部決めてから無意味な住民投票をやることで、血気盛んな反対派だけが大騒ぎしてお釈迦にするわけですから馬鹿げた話です。しかもそれまでの間に税金たくさん注ぎ込んでるわけで…。
同様のことは諏訪郡富士見町・原村の諏訪市との合併でも起きましたし、多分全国のあちらこちらで起こっているのでしょう。もういい加減気づけよと思うわけですが。
だから住民投票なんかやめろって言ってんの。 -新津田沼駅
 う〜ん、どうなんでしょうか。
 確かに地方議会の役割って言うのは重要だと思っています。ある一定の知見を持った人が、地方自治体の方針を最終的に決定すると言う役割においては。ですが、その選出過程に関してはどうも「?」って言うのを個人的には持っているんですわ。それは、【有権者が本当に知見を持った人を選んでいるのかどうか?】って言う部分なんです。それこそ、前の会社で勤めていたときには「お願いだから、この人の後援会に入ってくれ」って言う話が結構多かったりしましたし、近所付き合いの中でも「お願いだから○○さんに投票して」って言われる事も実際にあります。まぁ、隣近所って言う社会の中で「イヤです」なんて言う事はまぁ、言えませんから、「はいはい」って言って聞き流すって言うのがおいらのパターンなんですけどね(苦笑)。それこそ、会社の方から「○○さんを応援してくれ」って言われたときには、どんな政党から推薦を貰った方でも「それは自分の信条に反しますので出来ません」って断ってましたけど。まぁ、後で選挙公報を読んで、結果としてその方へ投票したって言う事はありますが(苦笑)。
 結局、「自分のお客さんだから」とか「自分の属している団体に有利になるから」って言う観点でしかモノを見てないんじゃないのか?なんて邪推してしまうんですわ。つーか、何でそんな判断基準で貴重な一票を行使していいのか?って思うんですよ。それこそ、その人がどんな事を考えているのか、その考えている事を実行するためにどんなプロセスで進めていくのか、そして、そのプロセスの中に発生する問題点は一体何なのか?って(言う事をしっかり吟味した上で「この人に投票しよう」とか「だれも投票するに値しないんじゃヴォケ!白票で出してやる!」って言う事を考えなくっちゃならない〜いや、白票はヤヴァイけど〜になるんじゃないのでしょうか。結局、しっかりと考えて投票が出来ないようなシステムになっているって言うのが・・・最大の問題なんでしょうね。
 それをFollowするのが住民投票と言うシステムなんじゃないのか?って思っております。特に合併って言う問題に関しては、議員に対する投票とは又違った重さを持つ問題ですし、そこには地域住民の声が反映される必要はあるんじゃないのでしょうか。
 ただねぇ・・・、基本的には「文句あるから住民投票やれ」って言った人が勝つのはやっぱりありますねぇ。おまけに、今は「行政に反抗する事が格好いい」って言う「それって違うんじゃないのか?」って言う変な風潮に流されている人も居ますし、結局は「個々がある問題に対して真摯に考えているのか?」って言う事に収斂されてくるんじゃないのかな?って個人的には思います。
 まぁ、個人的な話ではありますが、清水生まれじゃないおいらではありますが、やっぱり「清水市」って言う名前には誇りを持ってますし、「静岡市なんかと一緒にすんじゃねぇ」って思う所は今でもやっぱりあります。ですが、本格的に始まっている地方分権の中で、この「清水」と言う地域が将来生き残って行くためには、同じ経済圏を持つ(旧)静岡市と合併して政令指定都市を目指し、「県や国にゴチャゴチャ言われずに、自分たちの問題は自分たちで解決することによって、【静岡】【清水】両方の地域の価値を高める事が、世界の都市間競争に参加する事になるんじゃないのか?」言う方向性を持つんじゃないのか?って思います。いや、静岡市だけじゃなくって、それこそ静岡県全体で一つの線形都市を形成して"Shizuoka"を世界ブランドに持っていく必要性を実は感じております。
 逆に、「財政的には厳しくなるけど、Compact Townを目指す」って言う方向性もありだと思います。その中で地域住民のQOLを如何にして高めるか、って言う方向性からの問題解決って言うのもありなんじゃないのかなぁ、と。答えを出すのは、自分たちの子や孫の世代になるのかもしいれませんが。