静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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サロ110系1200番台惜別乗車

【ご案内】
 この乗車記は、以前旅行記サイトに掲載していたものですが、サーバー整理のために削除させて頂いておりました。ですが、そのまま消してしまうのは余りにも惜しいため、このBlogに転載させて頂く事にしました。なお、基本的に作成当時のままとさせて頂いておりますので、現在とは状況が違っている点、予めご了解の上お読み下さい。



平成16年10月16日のダイヤ改正で、東京発静岡行普通電車が1往復だけしかなくなる、その話を聞いたとき、ある車両に乗っておきたいと思った。そう、その車両の名前は「サロ110系1200番台」。東海道線の普通電車に連結されている平屋のグリーン車である。今までは通学どころか通勤の時もよく見かけていたのであるが、乗ったこと有るのか?と言われれば乗ったことが無かったのが実際の所。ただ、学校の期間中は定期券であるが故「乗れない」ため、夏休みの思い出に、と言う事でようやく乗る事ができた。バスではないが、倉庫番の趣味って言う事でご容赦願いたい所。

車内も車外も何回と無く見ているので、今更ながらと言う部分もあるが、やはりその臙脂色のモケットは「湘南電車二等車」の系譜を今に受け継ぐ由緒正し色である。そして、連続する小窓は「ワイドビュー」全盛のJR型車両の中で異色とも言える存在感を示している。そう、ただのグリーン車ではない。「湘南電車の二等車」と言う存在感であろうか。
 椅子は、お世辞にも座り心地は良くない。そう、言うなれば国鉄がその末期に誕生させた特急電車の普通車そのものである。途中でリクライニングが止まらない、と言う「金返せ」とも心の中で言ってしまうようなものである。

しかしながら、このグリーン車の存在価値はその椅子にあるのではない。重通勤線区と言われる東海道線電車の中にあって、外界と全く異なるその雰囲気、それがまさにこのグリーン車の持つ存在価値である。蛍光灯にはカバーが付けられ、今では紙製となってしまったものの白いカバーが付き、国鉄の頃には優等列車車内に用いられていた赤系の車内内装。まさに「長距離列車」のそれであり、普通電車のグリーン車にのみ許された「質実剛健」を旨とする車内である。そして専属の車掌が乗務し、甲斐甲斐しく検札を行う様子は、そう、普通車では見ることの出来ない光景ではないだろうか

 この電車の普通車を学校帰りに何回か使った事があるが、平塚までは混んでいる上、日によっては足下が狭い向かい合わせの椅子の普通車が来ることもある。多少座り心地が悪いと言えども、他の車両とは隔絶された空間を確保できることが出来ると言う意味でのグリーン料金であり、そう考えるとまんざら「悪い」って言う事はない。東名高速バスなら東名清水まで2,000円がちょっとだけ抜ける値段(但し学割)で乗車できるが、時間帯によっては何本か見送らなくてはならない。新幹線とはまた違う意味の「時間を買うためのグリーン車」って言う存在なのだろうか。

 平塚まではそこそこお客さんも居た。しかし、平塚発車前に車掌氏から「この先、お客様も少なくなりますので、お席を回してどうぞおくつろぎ下さい」との丁寧な案内がある。この段階での乗客数はわずか6人ほど。普通車でもボックスを丸ごと占領できる区間であるだけに、グリーン車なら当然の事であろう。車掌氏のお薦めに従って私も椅子を向かい合わせにして、車内でくつろぎつつせこせことWebpageの更新に励む。最新のPower BookG4と臙脂色のシートの取り合わせがまた美しい。バスや新幹線の車内での取り合わせは何回かあるが、この組み合わせは非常に新鮮である。

 いつもならiPodで音楽を聴きながら東海道を下るのだが、今日は列車の刻むリズムを聴きながら車窓〜とは言っても真っ暗だが〜をぼんやりと眺めていた。どんな人がどんな思いを抱いてこの電車に乗ってきたのだろうか。そして、この電車は残された時間をどんな思いを乗せて東海道を走るのだろうか。
 様々な人が様々な想いを乗せてこの椅子に座り、東海道を往復してきた。何度も見慣れて来たこの湘南〜伊豆〜駿河路の光景の中に「当たり前」のようにこの電車はあった。そんな「当たり前」もいつが終わる日も近い。だが、その想いだけは最後まで消える事はないのだろう。

 気が付けば熱海到着前。車掌氏が「会社が変わりますのでこちらで降りさせて頂きます。この先もどうぞごゆっくりお過ごし下さい」と言う言葉を残し、列車は東海管内に入っていく。改正後も多少は沼津行の運用は残るものの、沼津から先に足を進める列車は10月15日を以て最後になってしまう。
 丹那トンネルを越えて三島に降り立ち、そして沼津着。沼津を過ぎて乗っているのは自分を含めてわずか6人。その6人も吉原で一人降り、富士で2人降り、そして、興津で自分以外居なくなってしまった。自分にとっての最後の旅路は興津→草薙と言う奇しくも旧清水市内。

 草薙に到着し、この列車に別れを告げたその何日か後、今度は定期乗車券を持ってこの車両が連結されている普通電車に乗った。そう、当然普通車である。
 多分、このサロ110にはもう乗る事は無いだろう。そして、学校を修了するともう、この車両を見かける機会は数少なくなるだろう。しかし、恐らくこの車両の事は忘れないはずだ。
 新幹線のように華やかではないが、富士山の麓を当たり前のように毎日走っていた姿、そして、この自分にとっての最後の旅路の姿を。■