静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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007 学校・学ぶということ

 可能なオプションを広げる可能性が存在している場所、って思います。
 ついこの間修了したばっかりなので本当にそれを感じています。恐らく、学校に行かなかったら「問題認識」の方法を得る事は出来なかったと思いますし、何か一つの事を集中して研究するって言う事は出来なかったのかな?って思います。なおかつ、それに利益が絡まないって言う所は大きいのではないでしょうか。(実際には利益が絡むかとは思うんですが、損得勘定抜きでつき合える友人が多くできたって言うのは個人的に大きかったと思います)
 狭い世界に留まってしまいそうなとき、自分の興味ある事を通して世界を再構築するする事によって問題点を明確にし、その上で出てきた問題解決のためのオプションを自らの手で創りあげるための訓練の場、それが学校であり、社会人にとっての「学ぶ」と言う意味であると思います。
 現職の学生の方には・・・どう言ったらいいのでしょうか?
 少なくとも、社会=学校ではありません。学校じゃ教えてくれない事はぶっちゃけ山ほどあります。ですが、「あの時もっと勉強しておけば」とか「あの頃、もっと遊んでおけば」って思う事は山のようにあります。例え、カッとしてやったとは言え、後悔しないだけの事はやって下さい。足りない事があったら社会人になってからでも学校に行って補充する事は可能です。