静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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ストライキの持つ意味


 ストを打つことで、鉄道会社が呆れられる、という構図自体を疑ってみることが必要じゃないかと思います。現業系の労働者全体にとって交通ストといのうは、最後までいかないですが、かなり重要なよりどころです。私鉄やJRがどれだけがんばってくれるのか、ということで平均年収400万ぐらいの世界の人たちの労働条件(給料だけじゃなく)の指標になるのです。
最も、動労千葉というのは執行部が新左翼の特殊な労働組合であると思いますが。
■ [社会]動労千葉に見る「現場の意見」 4/27 への きょうも歩く さんからのコメント

 コメントありがとうございます。
 確かにこの問題は考えなくてはならない問題だと私も認識しています。ここでは、「交通スト」に限定した上で、なおかつ「動労千葉」の持つ特殊性は一旦除外して考えてみたく思います。
 まず、最初に「誰が迷惑を被るのか?」って言う点を考えてみると次のような人になると思います。

1.一般利用者・・・「出かけようとしたらストかよ。明日は早めに会社へ行かなくちゃならないなぁ」
2.企業当局・・・「ストのおかげで収入は上がらないし、対応人員にその分の給与を払わないとならないし」
3.鉄道周辺関係者(例:旅行会社)・・・「ストになったら旅行取り止めで、違約料とかが発生してしまうなぁ」
 まぁ、他にも色々とあるとは思いますが、恐らく「交通スト」って言う事になればカギ括弧の中のような反応が見られる事になると思いますし、現に生活の範囲においてはこのような部分が一番問題となって来てしまうんじゃないのでしょうか。まぁ、基本的に自分自身も含めて人間なんか身勝手なもんですから、「自分が予定していた事が他の事象によって妨害されること」に関しては著しく不快感を感じるものだと思います。・・・まぁ、自分も過去に馬鹿が線路に入り込んで高速バスに乗れなくなってしまい、旅行を中止したって言う経験もありますが(汗。まぁ、JR東日本の中の人も大変だけど、恨むべきは線路に入り込んだ馬鹿なんですけどね(苦笑)。
 確かに「現業系の労働者全体にとって交通ストといのうは、最後までいかないですが、かなり重要なよりどころです。」と言う部分は重要だと思いますし、いわば「伝家の宝刀」的な存在なんじゃないのでしょうか。ストを決行する事によって自分達もお客さんから悪く言われてしまう、ましてや会社からも処分を受ける危険性を持つ、正直言えばそれほどの危険と言うか覚悟の上で行われるものだと私は思っています。
 仮に、「伝家の宝刀」であるとするならば、そこに至るまでの交渉プロセスが大事になってくると思います。企業側は自社の経営状況を硝子張りにし、「あの部分が足りない。だからこの部分への協力をお願いしたい。この部分への協力を得る事によって皆さんの雇用を維持できる」というような真摯な姿勢で交渉へ臨むべきだと思いますし、逆に組合側も「あの部分に関しては会社側と異なり、組合としてはこう考えます。けれども、会社側のこの部分に関しては同様に思います。ですが、あの部分に関する話は継続して行う事にしますので、会社がわの方向へ協力しましょう」と言うような是々非々なやりとりこそ必要なのではないでしょうか。
 何かこのだのあのだの、ワケ分かんなくなってしまう部分もあるかとは思うのですが、結局は会社だって組合だって、相互に依存して存在しているはずなんですから、多少の同床異夢があったとしても、最終的に利益を受ける人の事(=顧客の事)を考えて活動をすべきなのではないかと考えているところであります。
 他業種への影響力に関してですが、あんまり考える必要がないのでは?と本音を言えば思う所もあります。少なくとも、高度経済成長期のように右肩上がりの成長は見込めない現在においては、「どうやって自分達の存在を維持するのか?」と言う事の方が重要だと思います。その中で伸びる企業は伸びるワケですし、存在が厳しくなる企業は厳しくなるワケです。その中で働いている従業員も、当然ではありますが「生き延びるためには何をしなくてはならないのか?」と言う意識変革は必要ではないでしょうか。ただ単に毎日同じような仕事をするだけではなく、そこに何をプラスαして行くのか、つまり、お客さんの前に立つの自分達であると言う意識を持ち、その中からお客さんのニーズを汲み取った上で「お客さんに選ばれるためにはどのような方向を創っていけばいいのか?」と言う取り組みをしなくてはならないのではないでしょうか。会社側に言われずとも、それを自分達の手で行う事が重要ではないのかなと思います。ここの企業によって経営状況は違うでしょうから、当然その違いを考慮する必要はあるはずです。状況によっては「賃上げ」ではなく「雇用確保」が最大の目的になる事、それもアリでしょう。
 ただ単に会社べったりの組合になれ、って言う事を言っているワケではありません。必要であればストを打つと言うだけの覚悟も必要でしょうし、その時には世論が味方に付くだけの理由を持つ必要があると思います。プロ野球選手組合のストが何故反感を持たれる事無く受け入れられたのか?そこに理由はあると思います。
 何かと言えば「スト」と言うような戦略では、結局利用者の共感を得られる事無く「またストやりやがって、時代錯誤も甚だしい」と言うようなものでしょうし、理由が賃上げ要求が通らなかったから、と言うのでは「こっちは賃上げなんか何年も無いぞ。ふざけるのもいい加減にしろ」と言うような世間の目は確実にあるのではないでしょうか。そのような部分を指して、労働者を上手くコントロールできない鉄道会社に対しての批判もあるでしょうし、逆に世間とはズレた理由でストを行う、と言う組合に対する批判も同時に発生してくると思います。(政治的なスローガンを目的にしたスト、って言うのもズレた理由の一つになると思います)
 労使お互いが異なった視点から一つの事象を眺め、別々のアプローチでの問題解決の策を検討し、その問題に対してどのように行動をしていくのか、それを考える事が労組の目的であると同時に、お互いに「いいものはいい、悪いものは悪い」と言う事が言えるだけの存在になる事が必要であると思います。その上で、「これ以上今の状況をこのままにしておいては、自分達、ひいてはお客さんの安全が確保できない」、このような切迫した状況があってこそ、ストの効果も最大限現れてくるのではないでしょうか。