静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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「物語性」と言う事。

 上のエントリを書いていて「そう言えば」って言う事で書いてみようと思う。
 自分自身、普段は"I'veマンセー"とか言いながらも、"Pat metheny(・∀・)イイ!!”とか、「おまい、一体どんな音楽が好きなんだ?」って良く言われる事があります。まぁ、冗談半分で「おいら、音楽に関しては雑食だからね」って言うように答える事が多いんですが、実際の所「楽曲が描こうとしている物語」が明確に存在する曲が好きって言う所があるんです。まぁ、それ故にいわゆる「洋楽」って言うのをそんなに聴かないわけで。(AppleのCMソングはiTMS-Jで買ってはいますが)
 たとえば、上のエントリで書いた"Jupiter"にしてもそうなんじゃないのかな、と。
 カヴァー版はカヴァー版で「一つの物語」を描ききっていると思いますし、原曲は原曲で「惑星」と言う中の「木星」と言うものをモティーフにして、その中で物語を描いていると思います。まぁ、原曲の方は地球の上から見た「木星」の姿を、作曲家の想像力で描いている訳ですから、我々が知っている「木星」とはまた別のもの、と言う考え方で捉えた方がいいんじゃないのかな、って思うんです。その原曲の「木星」が持つ物語の文脈の中で"Jupiter"と言う一つの楽曲を捉えるのもまた面白い試みでしょうし、原曲の「木星」から切り離して"Jupiter"と言う曲を捉えるのもありだと思うんですよね。
 まぁ、何を言いたいのか?って言えば「聴く人に【物語】を描かせてくれるかどうか」って言うのが重要になって来るんじゃねぇの?」って言う所なんですわ。確かに歌詞のある曲なんかでは、すでに詞と曲によって楽曲そのものに物語性が付与されていますし、歌詞の無い曲にしても「曲名」によって既にその曲に物語性が付与されていると考えるのが妥当なんじゃないのかな?って思うんです。
 ですが、そこで限定的な解釈から抜け出す事を許すだけのものが存在するかどうか、そこに「楽曲の良さ」とか「物語性」と言うものがあるのではないのでしょうか。その「物語性」が、個人的には「好きな音楽」って言うもの価値判断基準になっているような気がします。