静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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智代アフター完了。

 と言うわけで、裏でセコセコと「智代アフター」やっておりました。
 正直、最初のエロシーンで思いっきり萎えていたのが正直な所ではあるんですが、徐々にやり込んで行くと確実に世界にハマるって言うか、物語にどっぷりと入り込んでしまう俺が居るわけで。結論としては「キャラに萌えるな、物語と音楽に酔いしれろ」って言うのが正直な感想です。
 色々とネット上の評判を見ていたりする訳なんですが、個人的にはこの系統の話は嫌いじゃないです、っ言うかむしろ大好き、正直言って。まぁ、「何か説教臭いなぁ」とか思う人も中には居るのかな?って思う所はありますが、人と人の繋がりってやっぱり「お互いがお互いを支え合う」って言う感じなんじゃないのかな?って思います。その時々に出会った人に力を貰い、時には気付かないうちに力を与え、一人だけじゃ生きられない世界をお互いに生き、生かされている、本当にそんな風に思ったりする訳で。結局その最小の単位が「家族」になってくるんじゃないのかな?って思うんですわ。
 話の中に「家族の形は色々ある」てな事を言っていた訳なんですが、それは確かな話ですし、個々の行動様式や考え方の規範の根底に存在するのはやっぱり「家族」と言う基盤があってこその上でしょうし、その上でお互いにそれぞれの存在価値を認め、そっから色んな事が始まっていくんじゃないのかなって思います。時には思いっきりぶつかる事もあるでしょうし、意見の相違から色々な諍いもあるかとは思います。けど、やっぱり一番最後に求められるのは「お互いの価値」を認め合う事だと思うわけで。
 変な話ですが、所詮価値観と言うのは様々なコードに規定された相対的なものでしかないと思います。結局そんな所で色んなスレ違いが起きてしまい、面倒くさい事が色々と起きてくるんじゃないのかと思うわけで。でも、かと言って相手の価値観ばっかり尊重するって言うのは正直変な話ですし、いくら相対的なものでしかないと言っても個人の存在と言うのを大事にしなくちゃならないって言うのもある訳で。あれ?何か変な方向に話が行きかけていますがw。
 まぁ、少なくともおいらの想いはクラナドをやり終えたときからブレては無いと思います。多少言葉を変えてはありますが・・・


想いを繋ごうとする人が道に迷わぬよう、その道を整えること。
想いを繋ごうとする人が道に迷ったとき、行くべき方向を探すための手助けをすること。
想いを繋ごうとする人を、もっと多く見つけ出すこと。
 表に出ず、目立たなくても正直いいです。「名前は忘れたけど、あの人に出会えたから今の自分が居るんだ」って思って貰えるような人になれたら・・・なんて。それが自分の果たすべき役目なんじゃないのかなぁ、なんて。

 まぁ、そのためには乗り越えて行かなくてはならない難関がアホほどあるのは現実なんですがw。