静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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古い考え?新しい考え?

 まぁ、先週の出張の中で、色んな会社の社長さんとお話を色々とさせていただいた訳なんですが、そんな中でこんな事を言っている方がいらっしゃいました。


「仕事ってもんは、定時で上がって帰ろうなんて言う事を考えちゃならないんだよ。どこまで自分の技を磨けるのか、そっちの方を考えれば別に残業なんて苦にならないんじゃないのか?今の労働基準監督署の連中はそれを分かっちゃ無いし、今の若い奴らはそこを何か勘違いしているよ。まぁ、決めごとだから守るしか無いんだけどな。」
 う、正直耳が痛いんですが・・・・。
 上がれるもんなら定時で上がりたいし、残業なんか可能な限りはやりたくない、って思う自分が居るのと同時に、「どこまで自分が出来るのか」って言う事を試してみたかったり、「畜生、あんな事言いやがって。馬鹿にしてんじゃねぇよ」って言うような、半ば意地になって仕事をしてみたりとか、って言うのも実際あったりします。だからこそ、この言葉がどこか心の中で引っかかっているのかもしれません。
 それこそ、定時で上がれるときは容赦なく定時で上がって自分の時間を持つ。だけど、どうしてもやらなくっちゃならない時は自分の時間を犠牲にしてもそれは仕方ない話。だって、一応は自分の「能力を売って、お金を貰っているプロフェッショナル」なんですから。とは言え、何か「一定レベルの所得以上を貰っている人に対しては残業代を出さない」とかって言う動きもあるみたいです。これは正直、「一定レベルの所得」って言うのをどこの線に引くのかな・・・って言うのが気になる所です。
 まぁ、実際にそうなれば企業も人件費負担が減るわけですから、変な話ではありますがコスト削減につながり「競争力の強化」って言う事になるので、役員報酬を貰っている中の人はいい感じになるって思うんですが、やっぱり「対価」って言うのは適正に支払われるべきなんじゃないかと思うわけで。
 その部分での分配って言うのは、ただ単に「個人の満足」や「会社の利益」って言う観点だけではなく(そりゃ、会社の利益が無ければ個人への分配も無いんですが)、「内容に応じた対価」はしっかりと支払われるべきなんじゃないのかな?って思いますよ。ええ、販管費の「役員報酬」って言う科目を見ていると、何か色々と考えさせられます。