静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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ある面当たり前なんだけどな。


次々と根拠なき“新幹線効果”への期待を打ち砕く藻谷氏は、畳み掛けるように駅前開発の必要性も否定。「新大阪駅の駅前を5分歩いてください。スーパーもデパートも駅ビルも何もありません。これを見たら、自分の街にそれらができるわけがないとわかります」
 「新幹線を降りた人が、イオンやサティやポスフールに入るわけがない。旅行者に必要なのは、土産物屋や弁当屋、飲食店だ」と指摘する藻谷氏は、大規模店でなく小さな店を増やし、地元の産品を売ることこそが地域の栄える道だと説いた。
「新幹線で街は栄えない」 全駅を乗り降りした自称オタクの銀行マンが講演
 興味のある方は全文読んで頂いた方がいいと思います。正直に言えばこの意見には賛成する反面「それはどうなのかな?」と思う部分がある訳で。
 確かに旅行者にとっては「その地域を感じさせる何か」が欲しいって言うのは確かな部分ですよね。正直な話、新幹線駅って言うのはどの駅も似たような構造ですので「旅情」って言うものを感じる事はできない訳で。折角新幹線の駅を降りても「何だ、地元と一緒じゃないか」って言うような事になってしまうわけですし。そんな中で、駅の改札を一歩出るとその「地域」を感じる事が出来るものがたくさんあった方がそりゃ・・・旅行者と言う観点から見れば正しいって言うか「楽しい」って思います。それとか、同じ駅の中であっても更に先の目的地に行くための列車の乗り換えで感じるワクワク感って言うんでしょうかね、鉄ヲタの場合には。ましてや、それが普段なかなか見る事が出来ない列車が並んでいるような駅なんかじゃ。ちなみにおいらの場合は岡山や博多、小倉駅なんかマジで脳汁垂れまくりです。
 けれども、問題は地域が「新幹線」に何を求めているのか?って言う社会的なコンセンサスだと思うんですよ。
 これが「観光客を増やしたい」って言うのであれば有効な戦略になりうるのかもしれません。「新幹線」と言う存在は確かにそんな側面も持ちます。ですが、暴論を覚悟で言ってしまえば「大都市の延長線」として「新幹線」と言う存在をとらえているのではないのかな?って言う部分もある訳で。これは、それこそ新幹線の前から存在していたのではないでしょうか。「都会」の象徴としての鉄道、そんな部分が確実にあると思います。
 たとえば・・・ここ数年の間に九州と東京を結ぶ寝台特急が何本か廃止になりました。「旅情が失われてしまう」って言う部分もあるのかもしれませんが、個人的には「東京と地元を結ぶ乗り換え無しの交通手段が失われる」と言うような感覚がどこかに存在していたのではないのかな?と思うわけで。確かにその近隣の都市(大阪であったり、福岡であったり)へは直通列車が走っていたりしますし、実際に直通列車に乗らず、新幹線や航空機に乗り換えて向かうと言うケースが大多数だとは思うのですが、それでも、やっぱり「東京行」と言うものの存在は使う/使わないを抜きにして大きかったのかな?って感じてしまいます。まぁ、静岡でも普通電車の東京行きが無くなった時にそんな事を感じたんですけど。
 結局、そんな中で地元が望むものと言うのは「大都市の出先としての大規模小売店舗」であり、地域計画になってくるんじゃないのかな?って思うんですわ。それが正しいか正しくないかは別の問題として。確かに最近では「東京と言う存在への幻想」に気付いている所も多かったりしますし、地域のリソースをどうやって活かすのか?って言う事を考えてはいる自治体も多いって思うんです。けれども、やっぱりそれが流れになってきてしまう部分はあるのでは無いかと。

 新幹線効果ってものは確かにあると同時に、その功罪を考えると決してプラスにだけ振れるものではないと思うのは同感です。この部分をどう考え、地域の将来像を考えなくてはならないのかって事を検討する必要だけはあるのではないかと思います。