静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

アート戦略都市-EU・日本のクリエイティブシティ

アート戦略都市 EU・日本のクリエイティブシティ

アート戦略都市 EU・日本のクリエイティブシティ

 誠に遅くなって申し訳ないですが、先日id:japanfoundationさんから頂戴したこの本のレビューを書いてみたいと思います。明後日の方向の内容を書いてしまっても、それは勘弁して下さいね(苦笑)。

 まず、「創造性」と言う事を考えるに当たって考えなくてはならない事は、「その都市の持つ力」ではないだろうか。この「力」とは経済的な力でもなく、地理的条件から発生する優位性でもない。地域の住民が「その地域の事をどの位好きなのか」と言うものである。
 たとえば、東京と言う都市と横浜と言う都市を比較して考えてみたい。東京と言う都市はそれだけで十分に魅力的であるし、横浜と言う都市も非常に魅力的である。だが、あくまでも個人的な感触ではあるがこの二つの都市の間には明らかな「温度差」と言うものを感じてならない。この感じる「温度差」と言うもの、これを一旦『都市の力の差』と言う言葉としてみて議論をしてみる。
 まず、東京と言う都市を見てみると、そこには「多様性」と言うものを見て取れる事が出来るのではないだろうか。華やかな銀座、官庁街の霞ヶ関、萌えヲタのまち秋葉原・・・などなど。「東京」と言う都市の中に個々のコアが形成されており、その「東京」と言う言葉によって指し示されるまちは人によって異なってくる。
 だが、「横浜」と言う都市をみた場合に想像されるまちの姿とは一体何であろうか。赤煉瓦倉庫や中華街、元町の商店街、と言ったものが自分でも想像は付くが(確かに東名江田も立派な横浜市内ではあるが、一旦ここでは考えずにおく)、「地名」と「まちの姿」がリンクしているのに気付く。確かに東京に関してもそうではあるが、それらの「まちの姿」を一括して捉える概念として「横浜」と言う記号が成り立っているのではないだろうか。赤煉瓦倉庫のあたりをぶらぶら歩いて、元町でショッピングをして、中華街で食事をする、と言うようにまちそれぞれが有機的に結びつき、その中で回遊性が生まれてくる。それが「横浜」と言う都市の姿になるのではないか。
 その一方で、東京で同様な事が成り立つのか?と言う事を考えると、正直かなり難しい部分があるのではないかと思う。
 たとえば、秋葉原エロゲーを買った人間が青山界隈をぶらぶら歩き、築地あたりの場外市場で舌鼓を打つ。自分のような田舎モノであれば確かにやってしまうかもしれないが、基本的にと言うか、なかなか考えにくい事である。東京の場合はその個別のまちの中で全てが完結してしまうと言う特性を持っているのかもしれない。
 そこが、「都市の力の差」と言うものを感じる点であるのかもしれない。東京の場合は個々のまちが「独自の色を持つ」だけに横の連携を持つのが非常に難しいかもしれない、と言う条件を持っているために「東京」と「横浜」と言う大きな括りでやる事は確かに危険かもしれない。だが、敢えて踏み込めば「東京」と「横浜」の持つ差になってくると言う事が出来るのではないか。東京の持つ創造性と言うものがあくまで個人に属するものであるとすれば、横浜の持つ創造性と言うものは個人を越えた地域と言うものにある、それを強く感じる部分がある。
 極端に言えば、東京は「変な都市」であり、その都市の中で行われている施策に関しては正直様々な地域がそれをベストプラクティクスとして行いうる事は難しい。だが、横浜で今進んでいる様々な創造的なプロジェクトは多くの地域にとって今後の可能性を示唆するものではないだろうか。
 このような観点は、実はこの書籍の中で指摘されており、自分自身の都市に対する考察と非常に合致するものがあった。それは、「地方でこそ『創造都市』の可能性が高い」と言う観点である。実際、香川県の直島の事例も紹介されている。


 そんな中で、自分なりに「創造都市」にとって必要なものを考えてみると、幾つかのポイントを挙げる事が可能である。

 ・住民の力・・・・・住民の地域への「想い」
 ・行政の力・・・・・確固たるグランドデザインの存在
 ・支援機関の力・・・様々なアクターをコーディネイトするプロフェッショナルの力

 住民の力や行政の力に関してはここでは詳細を挙げる事はしないが、「支援機関」の力、これが実は重要であると思う。行政にしても住民にしても、「想い」はあるが、その「想い」をどの方向に向ければいいのかが分からないと言うケースが多々存在するし、行政も誤った方向に進んでしまう事も現実的にはあり、その方向性の誤りが結果として地域住民に対して不幸な結果をもたらす事も存在する。
 そんな中で、住民や行政、プロフェッショナルをコーディネイトするためのプロフェッショナルとしての支援機関の持つ役割は大きいのではないだろうか。様々なアクターが地域の中には存在するものの、少なくともそれらのアクターは様々な興味関心があるだけにある一定のマターにだけ関わり続ける事は出来ない。そんな中で最良の結果を導くための存在としての支援機関(この場合は公的セクターに近い機関だけではなく、NPO等の組織まで含むものと考えて頂きたい)の存在意義があるものと考えられる。これら3者の連携が成り立って初めて創造的な問題解決が生まれてくるのではないだろうか。
 現在の都市や地域を巡る諸問題は経済や環境、福祉と言った個別政策分野だけで解決する事が出来る問題ではない。経済問題を解決するのに福祉分野からのアプローチも必要であるし、環境問題を解決するために経済分野からのアプローチも必要である。そんな中で、地域におけるランドマーク的な存在としての「アート」の存在は今後更に重要度を高めてくるものであると考える事が可能であると同時に、今後の問題解決の一つのキーワードとして「アート」の持つ役割が大きくなる、そう確信する事ができる。


 自分は正直に言えば商工系の人間であり、基本的には決算書から個々の企業の状況を見る事しかできない。それはそれで重要な役割であると思うし、その役割は確かに果たして行かなくてはならない。だが、常に別の観点から「地域」と言うものを眺め、その中における「地域と企業」の関係や、その中に存在する問題をどうやって解決するかを常に考えなくてはならない、そう考えさせられた一冊である。
 地域活性化、と言う小さな視点では読んで欲しくない。「地域が生み出す付加価値」をどうやって高めるのか、それを考えながら読むと様々な示唆が得られる一冊であると思う。