静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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8月15日ですね。

 基本的には「右も左も、いいものは(・∀・)イイネ!!、悪いものは(・A ・)イクナイ!」って言うのがおいらの基本的な考え方なんですが。
 靖国神社に行く/行かないの問題って、変な話だけど「政治的に使いすぎているんじゃないの?」って思う部分があるんじゃないかと。自分が初めて靖国神社に行ったのって、法政の院に入って、政策科学専攻の共同研究室がボアソナードタワーの16階(だったかな?)に初めて入ったとき、

「え?学校の裏だったの?折角だからお参りしてみようか」

って言うのがきっかけだった訳で。基本的にはそんな軽いノリだったし。

 今、自分たちが生きている社会ってもんは「先人の歴史を切り離して考える事が出来ない」って言うのがおいらの持論。だって、それを否定しちまったら「地域性」とかって言うものを否定する事になってしまうんだから。
 戦地で散っていった方が、どんな想いを持っていったのかなぁ・・・って言う事を考えると、基本はやっぱり「大好きな人を守りたい」って言う事や、「自分の生まれた場所を守りたい」って言う意識があるんじゃないのかな?って。そう思うと、やっぱり今を生きる自分なんかは、そんな先人の事を忘れちゃならないって思うわけだし。

 政教分離って言う観点から言えば、靖国神社が「神社」って言う法人格を持っているって言う事は確かに問題はあると思う。そんな面で言えば「国立の追悼施設」を作るって言うのが一番いいんじゃないのかな?って思うんだけどね。個人的には。
 結局「宗教的価値観に統一され、アホな事を日本がまたやらかすんじゃないのか?」って言う恐れを周辺諸国は持っている訳で。まぁ、国内的にも色々とあるんですが。それこそ、カトリックの信仰を持っている人が戦地で散った事もあるだろうし、そんな人まで十把一絡げに靖国神社で祭られるのは「今の観点から」見たらどうかな?って思うんだけどね。
 けれども、「靖国の桜の下でまた会おう」って言い合って散った人も居る訳だし、そんな面では「神道」とは切り離した戦没者慰霊の施設としての「靖国神社」って言う存在はやっぱり必要なんじゃないのかな?って思う。

 後、やっぱり「何を学ぶべきなのか」って言う事を右も左も偏ってしか考えてないんじゃないのかな、って。
 確かに憲法第9条は誇りに思わなくてはならないし、これからも守って行かなくっちゃならないって思う。あと、この条文があったからこそ「今の日本」って言うもんが存在するって言う事は絶対に忘れちゃならない訳で。
 だからと言って、それを足枷にしちゃならないって言うのもある。日本がこの60年の間で成し遂げてきた事を今度は世界のために、そのノウハウを提供するって言う役目があるんじゃないかなとも思うわけで。言うなればノブレス・オブリージュ的な考え方をこの国がする必要があるんじゃないかと。
 その中で、公的セクターが効率的かつ安全な場面もあれば、民間セクターが効率的かつ安全な場面もあると思う。そんな中で「過去に捕らわれる」事によって、日本のやらなくちゃならない事が出来なくなってしまう事もある訳だし。結局、そんな部分で右も左も硬直してしまっているんじゃないのかな、と。
 で、特定アジアの国の中の人が色々と言ってくる訳なんだが、まぁ、その理由も分からなくはないw。けど、「あんたたちの言う事は確かにもっともだ。だけど、我々はこう思う」って言うように是々非々で本当はやらなくっちゃならないんじゃないのかな?って思うわけでさ。

 何が今まであったのか、そして、これから先何をしなくちゃならないのか。それをもっと広く考えないとならないんじゃないのかなぁ、って思うわけなんだけどね。
 その文脈で考えれば、極端な話、靖国神社に首相が参拝したって言う事で騒ぎ立てるのはどうかって思う。静かに「ありがとうございます。あなた方が居たおかげで今の自分たちが居ます」って言う事を祈るだけでいいんじゃないのかなぁ・・・と思うんですが。