静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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最後の、旅路。-特急東海号・最後の乗車記(0)-

 今日も東京日帰り、明日も東京日帰り。正直自分でも「変」としか思えない。とは言え、やっぱり最後に「ありがとう」の想いだけはどうしても伝えたい、そう思う。
 東京と静岡を結んでいる〜もうすぐ過去形になるが〜特急「東海」号。新幹線や高速バスもある中で、最後の最後まで奇跡的に残った、と言っても過言ではない列車である。

 その昔は「急行」列車であった。そう、その急行だった頃の「東海」号には色んな想い出が残っている。当時自分は埼玉に住んでいた。親父の実家が清水市内にあったので、清水に帰省する時には新幹線ではなく「東海」号で帰った事が何回も何回もあった。そう、それは新幹線があったにも関わらずである。
 今でも覚えている光景は、東京駅で乗車前に買った冷凍みかんが窓際にあったテーブルに乗っていた光景。「禁煙区間 東京〜平塚」と言う車内に貼ってあるステッカー、平塚駅を出て進行方向左手に見えたTECの工場。そして、由比の海岸の光景、そして、車内の暑い空気をかき回す扇風機。それらが全て自分にとっての「東海」号の記憶である。それから時は流れ、約20年前。
 川越から富士、そして沼津に親父の転勤で引っ越した。そんな中、先々には清水に引っ越す予定があったので静岡市内の私立の中学校に入学した。丁度下校する時間帯に静岡発16:48の急行東海4号があった。17時過ぎ発の普通電車東京行もあった、昭和61年11月改正の前である。流石に毎日乗ると言う事は無かったが、時には急行で沼津まで帰った事があった。夕暮れの東海道を急行電車で帰ると言う今となっては信じられないような事もやっていた。
 そして、特急列車への格上げ。その頃にはすでに社会人になり、清水に住んでいた。
 まだ高速バスへの興味もそんなに無かったので、選択としては「東海号」か「普通電車」、そして「新幹線」と言うものがあった。そんな中で何回か出張で乗った事もあったし、大学院に通っていた頃は寝坊してしまったために東海号に乗った事も何回かあった。
 色んな記憶を思い出させる「タグ」、そんな役割を「東海号」もしているのかもしれない。
 そして、ついに廃止。初めは「そのまま見送ろう」と思った。だけど、その「思い出」を見直しているうちに、やはり最後はしっかりとお別れを言いたい、そんなように思うようになってしまった。そして、気が付けばインターネットで「東海」号の予約をしていた。

 17日の本当の最終列車には乗ろうと思わない。少しでも自分の知っている「東海」号の姿に近い列車に乗りたいからこそ、明日の東海2号を選んだ。自分にとっての「東海」号での最後の旅路。景色は今日も見たけれど、昼間の東海道をゆっくり煙草をくゆらせながら思い出の旅路を辿りたい、そう思っている。