静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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考えさせられるなぁ。


富士市立中央病院(同市高島町、山田治男院長)に医師を派遣している東京慈恵会医科大(東京都)が、産婦人科の医師を来年3月末で大学に引き揚げる方針を病院に伝えたことが、12日までに分かった。産婦人科が実質的に閉鎖になれば地域の産科医療に及ぶ影響は甚大。病院や市は大学に方針転換を要請するとともに、科の存続へ対応に追われている。
(後略)
産婦人科、閉鎖の危機 富士市立中央病院 ■4/14確認 静岡新聞
 特に今の自分にどうこう、って言う訳じゃないのですが、なんと言うか「漠然とした不安感」って言うものを感じています。色々と話を見聞きする限りでは「産婦人科=訴訟リスクが高い」って言う話も聞くので特にそうなのかなって言う部分もあるのですが、これが「地元の病院」で「自分の関係がある人がかかっている診療科」で発生したら一体どうなるの?って言う事を考えるとシャレにならない問題じゃね?って思う所で。
 ドクターって言う仕事は確かに「公益性」の高い仕事であるんですが、やっぱり基本は「仕事」って言う訳ですから、そこで仕事をする人の意思が反映される必要があるのは確かな部分ではありますが、地方で暮らす人間から見た場合には、やっぱり「資源の偏在」を許すシステムが存在しているのは果たしてどうなのかな?って思うんですよ、他人事じゃなくって。
 財源って言う事で言えば、確かに地方は都心部に依存している部分はあるので何とも言えない部分はありますし、「自分らで稼いだ金を自分らで使って何が悪い」って言う議論があるのも確かに分かるんです。ですけど、それを言うと言う事は極端な話「田舎者は野垂れ死ね」って言う事になってしまうんじゃないのかな?なんて思うんですよ。都心部に居る人間だけが色んな分野へのアクセスが容易であるって言うのは・・・納得いかないんですよね。いや、分かりますよ、その分色々な対価を支払っているって言うのは。金銭的な対価に換算できないものもあるって言う事が。けど、ここらへんの話が様々な分野で色々と噴出しだしたって言うのはここ最近のような気がします。そう、いわゆる「構造改革」って言うのが始まった頃のような気がしないでも。
 色んな部分で変えて行かなくてならないって言うのは必要な部分もあると思いますし、自分が今現実にやっている仕事の中でも「この制度設計おかしいんじゃね?」って思う所はあります。だけど、結局その「制度設計をやり直す」って言う事をするためには様々な労力が必要になる訳ですし、その「労力」が「結果」を生み出すものでないって言うのが見える以上、現在のフレームワークの中でもがくしかないのかも、と言う結論になってしまう所が悲しい所だったり。
 色々と変えなくちゃならない、だけど、その「変える方向性」を考える意思決定プロセスがブラックボックス化されている所、これが最大の問題のような気がしないでもないんですよ、国政レベルであっても地方レベルであってももそこは一緒。それこそ児童ポルノ規制法の問題にしても(誤解無きよう言っておきますが、実在する児童を対象とするものに関しては賛成です。)、ネット関係の低年齢者向け規制の問題にしても、外国人参政権の問題にしても、一部の「声が大きい人」の意見だけが罷り通り、広い面での議論を喚起してないって言うのが最大の問題なんじゃないでしょうか。んで、その議論の材料を提供すべき報道機関もその「議論の素材」を提供するのではなく、特定の方向へ誘導すべく世論形成を行っていると言う点も問題なんじゃないでしょうか(いや、これも分かります。少なくともメディアってもんが情報の取捨選択を人間が行っている以上、公平と言うものは存在しませんし)。そういう面では今の社会に何とも言えない閉塞感を感じているのもまた実際の所な訳なんですよ。
 ウヨサヨとかって言う単純な問題に帰結させるべき問題じゃなくって、それぞれの人がそれぞれの考えをそれぞれの「言葉」で話し、お互いに意見を尊重して議論をするって言う事の重要性が高まっているって言う事、そして、その議論をまとめるファシリテーターの存在が様々な「地域の問題」を解決するために必要なんじゃないのかなぁ、なんて思ってみたりします。
 ・・・一番そのファシリテーターがが必要なのは国会かもしれませんがねwwwwwっw