静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

東京モデルの崩壊(2)


 もう、そう言う季節になったんですよね〜、なんて思いながらシャッターを切ってしまいました。今日は11月6日。写真を撮った日は11月4日。で、この写真を撮った翌日、会社の上司に「(倉庫番)、お前何の写真撮ってただ?」などとツッコミを入れられてしまった訳なんですがwwwww。


全く関係無い話ですねwwwサーセンwwwww


 とまぁ、ここまでは半分冗談みたいな話なんですが、この写真を撮りながらこんな事を考えておりました。「どこの地方に行っても、東京近郊と同じようなお店や街しかなくてつまんない」と。まぁ、「もっと地域性を出してもいいんじゃね?」って言う事を言いたいんじゃね?なんて思うんですが、この言葉にも正直反発に近いものを感じたわけで。

「地方でそう言うものを望むような社会構造にしたのは誰なんだ?」
「お前らは東京の視点でしかものを言ってないだろ?」

ついこう思ってしまうわけで。実際、地方の独自性ってものを奪ってしまったものは何か?って言う事を考えると、それは東京発のメディア情報だったり、いわゆる「流行」と言うもの。「流行」に乗れない者は格好悪い者、と言う「ある種の集団意識」的なものがそれを形成しているのではないか?と思う所が実際にある訳で。正直「東京モデルの崩壊」と言いながら、そのスタンスが完全「中心部から地方を見下している」と言うような所に正直「それは無いだろ」って言う異議申し立てみたいな事をしなくちゃならないのかな?って思うんです。

さて、今日はどこらへんの事を書いてみようかなぁ、と思うんですが、取りあえずは自分にとって手の付けやすい「交通」との観点から考えてみたく思う所。
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 実際、おいらは「静岡の高速バス倉庫」と言うページを作っているんですが、「ここ数年で半端無い程本数が増えた」って言う事は、置き換えればそれだけの需要があったと言う事になる点、そして、今まで在来線で出かけていた層が高速バスに転移した、って言う事がある訳で。需要が無かったらいきなりあんな本数が増える事はあり得ませんし。

だけど、その背景要因としては「静岡の市場の狭さ」って言うものがある、って言う事を過去に書きましたし、その「市場の狭さ」と言う要因は、個人化の進展〜マスの消滅〜と言う要因が重なっているのではないかと思うのです。実際、特に先鋭化した趣味(とここでは書いて置きます)が無ければ、一通りのものは静岡市内のお店を歩けば手に入る訳ですし、家から出たくないのであればamazonだの何だの通販で入手することは可能な訳ですからね。何も「本来買うべきもの」の他に「バス会社に余計なお金を払う」と言う不経済な行為をする必要は一切無い訳で。


「この頃、週末の便の予約の出足が早くなってますねぇ」
JR東海バス静岡駅の窓口の人の言葉です。


結局、単純に「モノ」を消費しているのではなく、「モノ」以外にある「情報」や「お店の雰囲気」と言った「モノ以外」のものに「時間」と「金銭」の消費価値を見いだしている、どうもそうとしか感じる事が出来ない訳で。確かに「情報」に関しては今ではネット上で様々な有害情報から有益な情報まで何でも手に入れる事は出来るのですが、「情報」の「経験」と言う事で言えば、やっぱりその「情報の生まれる場所」に行くのが最大のものなのかなと思います。そう考えたとき、今の「情報発信」と言うものが「東京一極集中」であると言う事を勘案すると、「東京モデルの崩壊」と言うものを招く事が出来るのか?と言われれば、正直それは難しい話かと。
実際、地方発の情報であったとしても、一旦東京のキー局に情報が集約され、それが全国各地に配信される形になっていますよね。そうなってくると、情報のセレクションと言う場面では「大都市の人間の観点」が自ずからミックスされてくる訳で(かつ、マスゴミ各社の思想的背景と言うものもありますがw)、決して「生の情報」では無い点に注意すべきだと思う訳で。
ただ、誤解しちゃいけないのが「他の地域の例を知らなくて構わない」って言う事を言っているんじゃないんですわ。むしろ「他の地域ではどう動いているのか」と言うような事は大いに知るべきですし、そう言う面で東京の空気に触れておいて「情報」と言うものに対する感性を高めておくことは必要でしょう。決して大都市の事を否定する訳じゃないですし、効率的に様々な情報を収集しようとか、「どのような方向に動いて居るのか」って言う事へのアンテナは常に高く掲げていなくちゃならないかと思う所で、どんな部分であっても。


 実際の所は「どのようにして『静岡モデル』を作っていくのか?」と言う戦略になるかと思うんです。
 仮に「コンテンツ」と言うものをこの静岡の地で根付かせる、と言う方向を考えるのであれば、現在存在するSCVの活動を更に深化させると言うのもありますが、「静岡でコンテンツ制作をする事のメリット」と言うものをどうやって提示していくべきなのか?と言う点ではないでしょうか。それこそ、ある一定の条件を満たすようなアーティストであれば、市が住宅兼アトリエを提供するとか(アーティスト・イン・レジデンス的なものを想像してくれればおk)と言うような「場所」に対する支援、ある程度法人化して動いて居るグループであれば「税制」的なものに関する支援、と言った「行政で無くては出来ない支援」もあるでしょうし、実際に「ランデヴープロジェクト」として動いて居ますが、市内に存在する伝統的産業とのコラボレーション支援にとどまらず、「デザイン」を大事にする県内企業との橋渡し機能の強化*1もあるかと。
 でも、実際には「本物」をこの地に根付かせる事なんじゃないか?って思うんですよね。ハイカルチャーとかサブカルチャーとか関係無しに、「アート」(おいらの言う「アート」とは、所謂美術館に収蔵されるとうな狭い範囲のもんじゃありません)が生活の中に自然と入ってきているようなまち、そこを目指す事によって「静岡?一度行ってみたいね」と様々な所の人に言わしめる事ができるのでは?と思うんです。
 そう言う中で、少し時間はかかるけれども「そう言えば高速バス使っていけば安いよね」とか言うようなものになってくるかとは思いますし、新幹線で往復1万円以上かけなくても、他の所の情報を入手できると言う「他の都市には無い利便性」がこのまちにはあると思いますし、それが出来る可能性があるのでは?と思うんですよね。決してメディアに大きく取り上げられなくてもいい、見た目は「何か東京近郊と変わんねぇなぁ」と言われてもいい、だけど、「何か凄く他のまちとは違わね?」と言うような「まちの空気」を創り出す事が、『静岡モデル』の創出には必要なのかな、なんて思います。

 何かエラく大きな話を書いてしまいましたwwww
 ただのヲタなんですがね、俺wwwっw

*1:このあたりはブーメラン来そうな勢いですがw