静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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結局「ソーシャル・キャピタル」だと。

 まず、「確かに産業方面には関わってはいるけど、直接自分達が施策を立案する事が出来ない」立場の人間である(要は「これをやれ」と言われた事しか出来ない)点をご理解頂ければと言う事と、あくまで「一個人の考え」であって、ここに書いた事が「組織の意見ではない」事を了解した上でお読み頂ければと思います。
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 id:RRDさんからかなり手厳しいコメントを頂いた事にうひゃーと思うと同時に、取り上げて頂いて有り難く思う所がある訳で、ちょっと自分なりに色々と考えてみた訳なんですが、まず、大規模小売店舗のお店の方が一概に「知識が無い」と言うのは書きすぎでした。これは素直に謝ります。ごめんなさい。
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 その上で一番の問題と言うのを考えると「将来的にどんな【地域】にして行きたいの?」と言うコンセンサスがあった上の様々な政策であり施策であるのかな?と思うんですよね。正直に言えば、昨日のエントリで取り上げた支援策に関して言えば「本当に実効性があるのかな?」と言うのが一番最初に思った訳で。それこそ旧静岡市でやっていたTMOの話が進んでいたのか?と言えば全くそんな話は聞きませんし、他の市なんかでも全く同じなんですよね。某市は何か商工会議所の会館建て替えなんて言う方向に結びついていたりする訳で、そりゃ何か変だろって思ったりもするんですが。
 静岡の事例が良く「成功事例」として取り上げられていたりするんですが、それって本当なの?って思っているんですよね。あくまで「賑わっている」のは駅前の商店街の奥に病院や市役所、百貨店と言う集客施設があって、そこに行く人が結果として商店街を通る、と言う変な話ですが「偶然」の上に成り立っているもんじゃね?って思うんです。正直、その「場」と言うものを人為的に作ると言うのは出来ないのが経験的に分かっているのに「じゃぁ金出してハードでも整備するか」って言うのはどうなのかなぁ、って思うんですよね。浜松のような産業集積を作ろうとしてあちこちで色々とやってみるけど上手く行った所がないのと一緒の構図だったりする訳なんですが(だいぶこの不景気で参っているみたいですが)。
 このあたりはまだ完全に論拠として出し切れない部分はあるのですが、何だかんだで「個別分野」でしかモノを見る事が出来ないって言う状況にあるのかな、と思う所で。例えば「農商工連携」と言うものにしたって、産業屋は産業屋で「農業の事は分からねぇ」とか言ってますし、逆に農水屋は農水屋で「農水しかわかんねぇぜ」って言うような部分があるわけで、その境界部分の微妙な所に突っ込みたくない・・・って言う部分がある、って思う所なんですよ。そこらへん、色々と突っ込んでいくと色々と面白そうな部分だと思うんですけどね。その部分で横の連携が取れない(と言うか現実的に言えば前例がない、って言う部分か)ってのがまずはあるかと。
 次に思い当たるフシって言うのが「自分らの【地域】がどんな所なの?」って言う事を実はあんまり理解してないんじゃね?って言う部分もあるのかなって思う所で。それこそ今は「B級グルメ」だの「地域資源」だの何だので見た目は非常に活発にやっているように見えるんですけど・・・、でもさ、それってあくまで「一部分を抽出しただけじゃね?」って思うんですよね。「今」と言う結果があるのは「過去」と言う原因がある訳で、そこらへんの「過去」と言うものをもっと詳細に分析して行く必要があるって思う所だったりする訳で。何で「山葉楠寅が浜松で楽器修理を始めたのか?」と言う理由を表層だけではなく、そこに定着した理由までも深く見る、って言うのが例としてあるんですが、そこらへんを一般化するって言う作業がもっと必要なのかな?って思うんですよね。まぁ、税収のこれっぽっちの役にも立たないでしょうが、「今」の原因を考えるためには歴史的な視点からの解読も必要になると思う訳で。
 後は、その「解読したもの」を政策としてまとめる事ができる人材の存在が必要なんじゃね?って思う所だと。ここらへんは常々思っているのですが、行政がやっている「○○市都市計画マスタープラン」とかの策定って言うのは、市によっては「市民参加」って言う形でやっているのもあったりするかとは思うのですが、んじゃぁその「市民」って一体誰よ?って言う部分なんですよね。それこそ自治会の会長や副会長が地域計画の策定メンバーになることはあっても、自分みたいな若造がメンバーになるって言うのは珍しい事ですし、普通は手を挙げないんじゃね?って思う所。でも、本当は「手を挙げる」事をしなくちゃならないんじゃね?と思いますし、俗に言う「○○の市民の会」なんて言う声の大きい連中の声だけじゃなくって、声なき人の声も聞かないとならないんじゃね?って思ったりするんですよね。まぁ、余りにも違った意見ばっかりだと収拾が付かないだろってのが実際の話にしても、何だかんだで似たような立場の人からはそう違った意見が出て来ることはないだろと思う所もあるんですが。ええ。
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 正直言えば、青臭いほどの理想論を書いてるって言う認識はありますし、こんなに上手く行くわけねぇだろって言うのも分かります。ええ。でも、何でこうならないのか?って言うのは結局のところ「他人と違った意見を言うと目立ってしまう」って言う所に起因するって思うんですよね。正直言えば自分にその気が無いとは毛頭言えませんし、こんな偉そうにご託を並べて恥ずかしくね?と言われれば恥ずかしいんですが(だったら書くなよw)、これから先のキーワードって言うのは「多様性」って言うものだと思うんですよ。
 その「多様性」って言う言葉が何を指すのかはっきりさせとかなくちゃならないんですが、ここでは「色んな考え方を認める」って言う部分なんですわ。自分達の考え方だけに固執せず別の考え方を取り入れる事が出来る事や、是々非々で議論が出来ると言う「柔軟性」だと思う所で。
 最終的には地域内にある価値の総和を如何にして高めるのか?って言う事が求められると思うんですよ。価値の総和を高めると言う事は外部からの流入も増やさないとならないし、増やすためにはどんな方法をどのような形で進めればいいのか、って言う事を分野を超えて進めなくちゃならないだろ、って言う部分なんですわ。個別の施策に手を挙げるも挙げないも自分達次第だし、ましてや「実績が少ないから手ぇあげろよ」と言うような事を言っちゃならんと思う訳で。そのためには「自分達の居る所の事」を知る必要が今にもましてあるって思うんですわ。
そんな部分も込めて、id:RRDさんがエントリに書いている、


ここで言いたいことは、もちろんムラ社会を強制的に守れということではない。都会が魅力的に見えるような文化によって形成されている今のこの国と、そのような文化を作り上げた消費社会や資本主義について再考し、経済哲学のようなものを持つことが必要なのではないか、ということなので念のため。
(3/11エントリ)■NOW HERE(3/11確認)
この部分は同感だし、その「哲学」って言うのは経済だけじゃなくて、その地域が持っている文化的資質、って言うかソーシャル・キャピタルまで及ぶべきものなんじゃないのかな?と思う所だったり。




長々と書いて結局「ソーシャル・キャピタル」って事が言いたかっただけなんじゃね?ってツッコミはご勘弁下さい。