静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

引きこもり、って言う訳じゃないけど。

 実習が終わったけれども今回は静岡に帰らず(って言っても来週戻るけど)、午前中は溜まっていた動画をじっくり見ておしまい、午後はゼミの準備をしていたり、と言う事で一日中部屋にこもっていた。
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 ふと窓の外を見上げる。

 12月に寮に入ったときには秋の名残を残していた中庭の木も、今ではすっかり繁って青々とした葉になっている。入ったときは「7ヶ月か、長いなぁ」と思っていたけど、今では「もう残り1ヶ月ちょい・・・。あっと言う間だったなぁ」と思う。実習の中で「自分の知らなかった自分のこと」に気付かされ、時には「俺ってここの部分伸ばせばいいんだ」と思い、時には「俺、こんな所に居ていいのか・・・」と自問自答したり。時間の流れに相応しい成長が自分の中であったのだろうか?
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無自覚なまま 生きてゆくのを
しあわせと呼ぶなら 痛み選ぼう
From "Real Force" ,Lia

 3回目の実習が終わった後、静岡に帰る前に同じオケの人に立川駅で会ったときに言われた言葉。「倉庫番さん、まさにリア充だねぇ」
 リア充、と言う言葉の定義を拡張すれば「まさにリア充」なのかもしれない。勤務先から派遣されて来ていると言う事情はあるし、派遣されて来ている以上「今の仕事=勉強」。だけど、「これが私の全力全開」って言う、どこかで聴いたことのあるようなフレーズでやってるし、基本は「どうせやるなら楽しくやろうぜ」ってのがおいらのスタンス。だからこそ拡張された「リア充」って言う言葉が自分の中ですんなりと腹に落ちた。
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 でも、その傍らでどこか「今を抜け出したい」と思って居る自分も居る。休日の午後に寮に居ると「あれ?倉庫番さんが居るなんて珍しい」なんて言われる。確かにそりゃそうだ。オフの日には何処かに大体でかけているし、再来週にはぶら下げたニンジンにようやく食らいつく事が出来るし。
 自分にとって何処かに出かけること、それは自分にまとわりついている色んなものを整理し、再構築する作業だと思って居る。確かにデスクに向かってタスクを処理するって言うのは必要。だけど、そのタスクを処理する前に整理しなくちゃ始まらないし、何をすべきかって事を考えないとタスクも処理できない。結局自分にとってはその行動が「旅行」って言うものだと思っている。3月末に佐久の友人の所に遊びに行ったのも、4月に白浜に日帰りで行ったのも「バスに乗りたい」ってのもあったのだけど・・・やっぱりそれ以上に「何かを整理したい」って言うのがあった。
 だからこそ、どこかに行くのはやめられないし、その「何処かに行く」と言う行為の中で色んなことを「考えてくる」と言うのはこれからも止めたくない。
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 音楽だってそう。今は楽器を演奏できる環境じゃないってのもあるし、それだけのリソースに時間を割けないって言う理由もあるのかもしれないけど、自室に居る時は殆どと言って良いほど音楽を垂れ流している。
 どんな楽曲だって「創った人の想い」が詰まっているわけだし、その「想い」を感じる事が自分の「力」になるのであれば、やっぱりその「力」を借りたいと思う。その貰った「力」を自分の中で変換してより良いアウトプットを創る事、それが色んなアーティストやPの方に対するリスペクトになるのでは?と思うようになった。
 端から見れば「ヲタ曲ばっかり聴いて・・・」なんて思う方も居るかもしれないけど、ヲタだの非ヲタだのって事はそんなに関係ないと思う。自分に与えられた限られた時間の中で楽曲を吟味し、それをどうやって自分の中にインプットしていくのか、その部分でのパフォーマンスを考える事もまた重要な事なのかなと。
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 何か色々と真面目に書いているけど、結論としては「変わっていく自分も自分だけど、変わらない自分はやっぱ変えちゃならないと思うし、要はバランスを取って残された1ヶ月チョイを過ごして行く事が大事なんだよね」って事を言いたかっただけなんです(ひでぇ