静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

「お客様は神様です」の意味。

 10/22に乗った渋谷・新宿ライナー静岡5号でのお話。この便、発券場所が無い渋谷マークシティーを通るので「何とかしてくれよ」と毎回思うのですが、そんな中で運転士さんが改札中に車内に入ってきて「すいません、障がい者の方が介護者の方と一緒に座りますのでご協力をお願い出来ないでしょうか?」と別のお客さんにお願いし、そのお願いされたお客さんも快諾?して席を移っておりました。JR東海バスさんもなかなか味な事やるじゃん、って思ったりしました。
 で、問題は静岡駅到着時に起きました。
 自分は東静岡駅まで乗るので「ここで毎回ガラガラになるんだよねぇ」なんてお気楽に思っていたのですが、そこで何やらトラブルが発生したようで。内容をかいつまめば「障がい者割引が適用になるお客さんに対して、障がい者割引を適用せずに20%引クーポンの値段で乗車券を発券してしまった」って言う事なんです。まぁ、それだけならば「オイオイ」って思う所なのですが・・・その扱いをしているところでその障がい者の方とトラブルになってしまったみたいなんです。
 運転士さんは、「お客様がそのクーポンを渡してきたから、クーポンの割引で発券をした。申し訳無い。一旦全額払い戻した上で再度障がい者割引の乗車券を発行する」と言うように、しっかり謝った上で支店に確認して指示を仰ぎ、処理をしようとしていたのですが・・・正直、障がい者の方の態度が酷かった。「この体を見れば障がい者だって分かるだろ」とか「迎えを待たせてあるんだ、さっさとやれ」的なことを平気で運転士さんに投げつけていたりします。まぁ、そんなこんなで静岡駅で15分程停車。
 東静岡まで行くもう一人のお客さんが「何かあったんですかねぇ?」と何故か私に話を振ってきました。さし当たって「障がい者の人が何か間違って発券された事にキレているみたいですよ」と私が返す。で、そのもう一人のお客さんが「おかしいって思ったら足柄での休憩中に運転士さんに話をすればいいのに・・・」と半ば呆れ顔。まぁ、こっちは待っていればいいのですが、一番大変なのは運転士さんかと。
 確かに対応が悪い、って言って切れる障がい者の人の言い分は分かりますし、運転士さんも発券の時にピンと来れば適切な対応は出来たんでしょうけど・・・決して運転士さんの対応は悪くなかったって思うどころか、かなりいい対応していると思うんです。座席交換のお願いまでしている訳ですし。そこまでやって「この体を見れば・・・」とか「さっさとやれよ」まで言われちゃたまんないと思います。おまけに支店に帰れば「何か言われるんじゃないか?」ってガクブルしてしまう訳ですし。むしろ、どっちが悪いかと言われれば障がい者の方が明らかに悪いかと。
 券面をしっかり確認して早いウチに運転士さんに言わなかった事もありますし、謝ったにも関わらず「さっさとやれよ」とかまで言うのは、障がい者・非障がい者関係無く、人間として「そりゃ違うだろJK」って思いますよ。ましてや座席まで配慮してもらった訳ですから「ありがとうございます」とかの一言もあってもいいんじゃないでしょうかね。
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 サービスに対しての対価を払う事によって一定の財貨の提供を受けることができます。当たり前の話ですが。
 ですが、ここでちょっと考えてみてください。その「サービスの提供」を受けるって言う事は、「自分じゃできない事を、お金を払って誰かにお願いをする」っていう事ではないでしょうか。自分ができない事をやっている訳ですから、「お客様は神様です」じゃなくって、「サービス提供者は神様です」的な事になるんじゃないんですかね、本当は。だからこそ、何かをしてもらったときに「ありがとうございます」っていう感謝の言葉が出て来るのでは無いでしょうか。例えお金を払ったとしても。
 でも、サービス提供者側も「自分らはサービスを提供して【やっている】」なんて思ったりしたらこれは最低な話ですけどね。


 このフレーズ(倉庫番注:「お客様は神様です」)への誤解は三波春夫の生前から有り、本人も私共スタッフも歓迎出来た話ではないと思っておりましたが、静観しておりました。本当に意味するところについては、本人がインタビュー取材の折に聞かれることが多かったので、本人がその度にお伝えしておりましたが、それは次のような内容でした。
 「歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って、心をまっさらにしなければ完璧な藝をお見せすることはできないのです。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです」
「お客様は神様です」について三波春夫オフィシャルサイト(11/20確認)
 確かにこの部分は真理なんですよね。結局、自分ができないことを他の人にお金を媒介としてお願いをしている。で、そのお願いをされた人もまた別の人にお金を媒介にしてお願いをしている。そんなのがグルグル回って自分あたりも一応は「プロ」として仕事していますし、その対価として給料を貰っている訳ですから。そんな部分で「みんな結局は支え合っているんだよ」って言う事を頭の中でどっか覚えておかないとならないってところなのかな、なんて思ったりもします。