静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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3月11日から後の話。

 今までニコ動でボカロ系の新曲を落として色々と聴いています。これは3月11日以前も以後も全く変わらないのですが、どっか出かけるときは別としても、普段の日常使いの中では「3月11日より前の曲」と「3月11日より後の曲」を分けて聴いている事に気づきました。
 いや、どの曲も大好きですし、特に去年の今頃は最後の追い込みで必死になっていた研修の中で「この曲があったから最後まで生き抜くことができた!」と思っている曲もあります。ですが、それでも混ぜてプレイリストを作る事が無くなってしまいました。
 
 いや、本当にどうなっているのか自分でも分からないよ(おい。

 元々ここらへんのタグとかここらへんのタグの曲を好んで聴いているのですが、この方面をメインとして新譜を探していくって言う傾向が強まった訳で。正直、最近全般的に流行っている曲を聴かずに、自分の好みの曲を探していくって言うのが本当に多いんです。まぁ、音楽は色んな楽しみ方があるので「どれがいい、どれが悪い」って言う事は一切言うつもりは無いんですけど、全般的に流行っている曲って言うのを「う〜ん、何か違うんだよねぇ」と言うことでのけてしまうんです。(後になって再生数が伸びる曲ってのもあるんですが)

 ただ、確実なのは「世の中の空気」と言うものが音楽の世界にもやっぱり反映されているのかな、って言うところだと思うんです。人間が生きている中で「何かを表現したい」と言う意思に駆られ、その結果として何らかの作品が出てくる。その「時間や空気」ものがやっぱり変わった・・・そうとしか思えないんですよね、正直な話。それが故に「3/11前と3/11後」と言う部分で変わってきているのかもしれません。

 実際、音楽だけではなく社会全般にも言えてくると思うのです。
 例えば、個人的な考えから何かを思った事を書こうとしたとき、全く政治的な意図が無いのにも関わらず「政治的な意図を持って書いている」と判断されるような場面も色々とあるように見られたりとか、今までであれば「この位大丈夫だろう」と思った事も、いざ書こうとすると「ん〜、ちょっとマテ」と考えなおして結局書かない、そんなものも自分自身の中で結構あったりします。

 それがいいことかどうかは別として。
 今はこの「変化」と言うものがどんな分野に起こってきて、その「変化」と言うものをどうやって読んでいくのかと言うものを見極める事が求められていると思うのです。それも、今までの文脈では解釈できないような動きもある訳ですし。

 多分、そう云う面で「う〜ん」と考え込んでしまうのが多いのかな、と思っていたりします。