静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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-仙台「絆」紀行・エンディング-

「絆」ー正直言えばあちこちで使われすぎて「もういいよ」と食傷気味になっていた。
だが、1泊2日と言う短い「乗りバス」の旅をする中で「絆」と言う言葉がここまで使われる理由と言うものを感じ、考え、理解する事ができたので、今回は「絆」と言う言葉を旅行のテーマにすることにした。

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仙台から電車に乗って向かったのは南仙台駅から歩いて10分程のところにある大学時代の同級生が経営しているお店。
震災のあと、一体どうなっているのか気になって仕方なかったので押しかけ的に訪問をしたのだが、そこには「色々と悩みながら、どうやって進んでいくか」を模索している姿があった。だが、そんな中でも「何か被災地のためにできること」をしていた。


2日目の行程〜仙石線沿線を見る〜きっかけを作ってくれたのは、今は都市建築史(でいいのかな?)を研究している中高の頃の同級生。「仙台に行っているなら、一度被災地を見ておくといい」とアドバイスをくれた。報道で見るものとは圧倒的に違う「リアル」、それを目の当たりにすることができた。

変な話だが、この二人が居たおかげで今回の旅行、いや、経験か、ができた気がする。Blog上ではあるが感謝したい。
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今回の経験で得たもは何か?と言うことを改めて考えてみたい。

恐らくと言うか、誰もがいろんなことを「気にかけている」。大事な人のこと、友人のこと、仕事のこと、趣味のこと。人によってはその優先順位は異なるかもしれないけど、本当に「気にかけているもの」は多い。そんな色んな事の中に「震災があって、今でもまだ大変な人がいる」と言うことを気にかけること、それが大事なのではないか?と言う事だと思う。

「忘れられた存在」にならないようにすること、まずそこから始めることだと思うし、「忘れてはならない」からこそ「絆」と言う言葉を使っているのではと思う。少なくとも自分は。

そして、これから先何かの用事で仙台に行く方が居れば、「不謹慎」と思われるかもしれないが、時間を取って一度仙石線に乗って仙台から松島海岸へ、松島海岸から矢本へ、矢本から石巻へと行って欲しい。そして、そこに広がる光景を目の当たりにしてほしいと思う。テレビや新聞で見るのよりも、圧倒的に理不尽な「現実」がそこには広がっていることを見て欲しい。

それが、今回の旅行記をまとめる中で「書いていいものかどうか」悩んだものの、自分の得た結論なのかと思う。(終)