静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

Part6 夕張を歩いて「タウンプライド」を考えてみた。


 と言う訳で、遅くなりましたが「北海道奇行2011SP」の続きと言うことで。なお、今回は9月24日に行われました「浜松メディアコンテンツカフェ」で報告をさせて頂いた内容のweb公開を兼ねるものです。よって、内容的にはそんなに面白いものではないので、興味のない方はスルーされる事を思いっきり推奨します。

(1)まずは、夕張と言う場所がどこらへんにあるのかということをご説明します。地図を見ていただきますと分かる通り、札幌市内からはそんなに距離はありません。大体100kmチョイと言う位にあり、都市間連絡バスで大体1時間30分程度と、浜松駅から静岡駅まで高速道路を通って車で行った場合とほぼ居同じような時間距離にあります。
 昔は産炭で栄えていましたが、今では人口1万人程度と言う「ヤマのあったまち」になっています。このまちが有名になったのは、「破産した都市」と言うことになるかとは思うのですが、2007年に地方自治体としての「破産」に相当する「財政再建団体」に指定されました。そんな中で、実際に静岡県内からでは浜松市裾野市から職員が派遣されています。それこそ有名なのは東京都副知事の某氏が2次元規制問題で「文句を言いたかったら夕張に雪かきに行け、そしたら話しを聞いてやる」と言う事ではないでしょうか。


(2)その夕張のまちをあるいていると、こんな看板を見ることができます。よく観光地にあった「顔を出して写真撮影するための看板」なのですが、夕張は「幸せの黄色いハンカチ」の収録された場所としても知られています。多分この話が分かる人は年齢層が高いと思うのですが。なお、今年の10月にリメイク版がだいいちテレビ(日本テレビ系列局)で放送されますが、こちらの方は北海道の日本海側にある羽幌町、はい、ご存じの方はご存知の沿岸バスの本社があるところでのロケになるのですが。
このまちは「映画」と言う事をメインのコンテンツにしてまちを活性化させようと言う事で色んな取り組みをしています。


(3)その取組みがこんな感じです。(縮小していてよくわかりにくいですが)、「明日に向って撃て!」とか「カルメン故郷に帰る」などと言った往年の名作の手書き看板があちこちに出ています。「良くもまぁここまで」と思う所がありますが、これらの看板って言うのは自分が思うところ「今じゃこんなもん作れないのでは?」と本当に思うんですよね。こんな看板があちこちにあるので、お好きな方は一度生で見に行くのがいいのかなと思います。マジでお薦め。


(4)これを見て「じゃぁ、何で映画なの?」って言う疑問をいだいた方も多いとは思います。私もそう思っていました。で、調べてみると1979年に「炭鉱から観光へ」と言うスローガンを掲げた市長が市長選で当選し、その結果として1990年2月に「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の第1回目が開催され、世界中から多くの映画関係者が集まったのです。私は正直映画に関しては疎いのですが、そういえばこの頃「夢空間」と言う寝台車両を連結した臨時の北斗星号(上野札幌間の寝台特急)が夕張まで運行されたと言うのを覚えています。
ただ、実際に今の現状を見るとこの写真、「石炭の歴史村」と言うところの入口にあるエントランスなのですが・・・見た目だけでも廃墟です、実際には奥に施設はありますが。正直こんな感じになってます。また、更に奥に行くと昔は遊園地があったのですが、今では完全に廃墟になっているとのことです。ちなみに、花畑牧場がこの近くにあるのですが・・・ええ、そんなにお客さんは居なかったですね。新千歳空港で並んでまで買った生キャラメルって一体何だったんでしょうね(苦笑)。


(5)ところが、先に述べたとおり2007年に「財政再建団体」に指定されたために市からの補助金支出が打ち切られる事になっていまいました。これは一般論なのですが、市が大きく絡んでいるイベントにはそのイベントの効果が認定されて市から開催に関しての補助金が出ている事が多いです。実際に静岡市で開催されている「大道芸ワールドカップ」に関しても市から補助金が出ていますからね。当然ながら、この夕張市の場合も「映画祭開催を続けるかどうか」と言う議論が起こりました。


(6)そこには、映画関係者や夕張市民の「熱い想い」がありました。何とかして映画祭を続けていきたい!と言う想いです。2007年の開催こそは中止になりましたが2008年以降は再び開催されており、毎年2月には多くの映画関係者や映画好きの方々がこの夕張に集まっています。知人にこの映画祭に毎年出かけている方が居るのですが、「何と言ってもクリエイターの方から直接話が聴けるのが楽しい」と言うものでした。分野こそ違うとは言え、何かこの部分は分かるものがあります。


(7)さて、ここから固い話になります。まず、ここで「何で映画祭を続けたい」のか、と言う事を考えていきたいと思います。私は「夕張の方々の【まちへの想い】」と言うものがその根底にあるのかな?と考えています。その【想い】と言うものが何でできているのか?と言うものを考えた時、まずは「日本と言う国のエネルギーを支えてきた【ヤマ】があった」と言う意識、プライド、と言って構わないのでしょうか。これが最大なのかなと思うのです。その上で【映画祭】と言うものをこの山の中の街で開催し続けてきたと言うプライド、なのではないでしょうか。お世辞抜きにして札幌からの足は確かに1時間30分のバスしかほぼ無い状況です(鉄道はありますが、お世辞にも便利であるとは言えません)。そんな中で「映画祭」をやって世界中からお客さんが来た、この事実は「コンテント」と言うものが「力」を持っていると言う事の証左ではないでしょうか。
そんな中で、夕張の人々の「まちへの想い」と言うものが「タウン・プライド」(まちとしての誇り)につながったのかもしれません。


(8)10分と言う時間を守らないと、事務局長たんに延々とネタにされるのが目に見えているので(苦笑)、これをどんな感じで「浜松」と言う場所に展開するかを考えたいと思います。
この「タウン・プライド」と言うものは、そう易々と出来るものではないと思います。浜松もそうですし、静岡もそうですが、その都市にはその都市の「文化」と言うものや「産業」と言うものが存在しています。ネット上では静岡と浜松の煽り合いがしばしば発生していますが、そりゃ当たり前です。だって、みんな「自分のまち」が一番大好きですし、表立って「なんだこんなまち」とか言いながらも旅行から帰ってくると「何かほっとするよね」って言う所があるツンデレなんですから(これは言い過ぎ)。結局そのまちの「文化」や「産業」と言った外部環境の中で育った訳ですから、誰だって「自分の住んでるまち」が好きで好きでたまらないんですよ。
で、その根底に何があるのか?って事を考えると「歴史」ってものがある。その歴史の中に存在する様々な事象は全てつながっていて今がある訳ですから、その「歴史」ってものを大事に考える必要があるのではないかと。そして、「歴史」と言うのはただ単に時間軸ではなく、「人が生きてきたことそのもの」なんですよ。ええ。だから私は「歴史」と言うのは「人々の営み」であると考えますし、それゆえに「文化」と言うものも「人々の営み」であると思っています。
今日、皆さんにお伝えしたいのは、【この地域に「何が」「どのように」存在するのか?】と言う事を常に考えて「まち」を眺めて欲しいと思うことです。ただ単に表層だけなぞってもその本質は見えて来ません。それならば、もう一歩踏み込んで、と言うか掘り下げてみて欲しい、そう思うのです。同じ「まち」を見るだけでも、もっとエキサイティングに、もっと深く、色んなものが見えてくると思います。

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一部補足とかしましたが、大体こんな感じの事を話していました。
何かのご参考になれば幸いです。