静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

改装前の新静岡(1)

 と言う訳で倉庫番です。今週は本当に色んな事がありました。静鉄電車急行列車の復活&通勤急行誕生、iPhone4Sの発表、新静岡セノバの開業、そして、Steve Jobs氏の逝去。これだけ色々あった1週間と言うのは本当に短くて。

 忘れちゃいけないこと、と言う事で新静岡セノバになる前の「新静岡センター」の最期的なものも書いておきたいと思います。北海道の話も書きたいのですが、旬のネタは旬のうちに、と言うことで。

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 改築工事前の新静岡駅の様子です。撮影は09年の1月29日、静岡成田空港線で成田空港に向かう時に(最終的には台湾まで行きましたが)、最終の静鉄電車に乗って新静岡駅に到着した時に撮影したものです。新静岡センターももうすぐ営業を終了しようとしていた時で、建物には別れを惜しむ装飾がされていました。
 新静岡センターの最終日には静岡に居なかったのでその最後の式典の様子を見る事はできませんでしたが、今でもこの写真を見ると中学生から高校生の頃を思い出します。南口プラザの方で色々バスを見ていたりとか、地下の食品フロアをバスから電車へと乗り換えたりとか、静岡日赤病院で日帰り手術を受けて、帰りに遅いお昼ごはんを食べて帰ったりとか。色々な思い出があります。

 先日、会社の人と話していたのですが、「昭和30年代後半〜昭和40年代前半の雰囲気が本当に残っていたビルだったよね」と言う言葉が出てきました。確かに言われてみればそんな雰囲気があちこちから漂っていました。今のように「バリアフリー」なんて言う言葉は全く関係ないような作りですし、エスカレーターなどの回りを見てみると確かにそんな香りがしていました。このシャッターが降りているのは真夜中なので「当たり前」と言えば「当たり前」なのですが、今のような開放的な建築から見れば考えられないような作りで。

 時代は確かに流れています。人も街もモノも。
 ですが、その背景にある「物語」(文脈、と言っても差し支えないのかもしれません)に耳を傾けることがいろんな意味で重要なのかなと思うのです。他所から何かを「流行っているから」と言って持ってくるのでは成功するとは思えないのです。その「街」や「人」の背景にあるものを感じ取り、その琴線に触れるものを再定義して行くことが大事なのかな・・・と考えています。

 何か上手くまとまりませんが。