静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

ちょっと思ったこと垂れ流し。

■ビジネスモデルの件
 とある小さい会社が作ったビジネスモデルを、大きい会社が真似(いや、実際にはシステム化だろうか)したことに対して、その小さい会社の方は「けしからん」と言う。
 確かに小さい会社がそのビジネスモデルを創り上げたと言う事は正直すごいと思うし、その部分を何とかして自分たちのものにしたいと思う大きな会社があるのは分かるし、やろうと思えば買収はできるのかもしれない。

 だけど、買収はしない。

 それは、大きな会社が示した小さな会社へのリスペクトだと思うし、「自分たちと勝負できる」と思っているが故の事なのかなと思う。背景にあるリソースは違うけど、その小さな会社のメリットは「小回りの良さ」だと思っている。ならば、その「小回りの良さ」が強みになる訳だし、その強みを活かした戦略を作るべきなのかなぁと思うのだけど。

 恐らく、今の状況を乗り越えれば「その先にある新しい市場」と言うのが見えてくるのではないだろうか。

食育と文化

 昨日何気なく見ていたこの動画(ニコ動)。

 これって「文化」そのものだと思う。自分たちの「毎日食べているもの」を大事にすること、これって「体にいいものを食べる」って言うこと以上の意義があるんじゃないだろうか。だって、考えてみてみ?地球上はその場所場所によって気候的な条件も全く異なるし、その気候の異なりが様々な文化を生み出した。

 その文化の一つが「食」だと思う。

 その「食」って言うものを通して「自分たちの文化」を知るって言う事ができるのであれば、「食」以外の文化を通して「自分たちの文化」と言うものを知る事ができるのではないだろうか。逆の視点から見てみれば、「自分たちの身の回り」に存在するものを見直す事によって、そこにある「文化」と言うものを発見し、どの背後にある共通項を観ることができるのではないだろうか。

 そう思うと、「文化」ってのは何もお高い所に止まってない。生きている事が「文化」なんじゃないのかなと。

■芸術?そんなのクソ食らえ。

 「芸術」って言えば何でも許される、そう思っている人がいるみたい。
 はぁ、確かに高説を色々と聴くと確かにそう思えるような部分があるから不思議なんだけど、それって結局はレトリックの問題なんじゃないか?と自分は正直思う。

 だって、考えてみ、毎日自分らは仕事をしていたり、いろんなことをやっている訳なんだぜ。そんな中で最優先に考えることは何か?って事を。人はパンのみにあらずというけどやっぱり旨い飯は食いたいし、食わなきゃ死んじゃうぜ。

 でも、やっぱり人間だし、そんな中で「感情」はやっぱりある。
 その「感情」の発露こそ「文化」や「芸術」のすべてのスタート点だと思うんだわ。 

 音楽、美術、文学などなど、人によって表現方法は違うかもしれないけど、「何かを現したい」「何かを伝えたい」そんなスタートの思いだけはやっぱり忘れちゃいけないし、その想いを失ったら何かを創ったとしてもその「表現」って言うのは嘘になるんじゃないのか?って思う。

 ある芸術分野でも盛り上がりは見ていて楽しいけど、何か「その目指す方向」がどっか違う所に行ってしまっているんじゃないのかな?って思うのが今日この頃。地に足の着いてないものが不安定なものであると同時に、「何かを表現したい」と思っている始まりの気持ちを忘れた表現と言うものが「非常に不安定」に見えるのは気のせいだろうか。

 ぜひ気のせいであって欲しいが。