静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

とある曲を聴いて思ったこと。


バーンスタイン&ウィーン・フィルのタコ5【未発売音源】ニコニコ動画(10/23確認)

ニコ動本当に何でもあるなぁ・・・、倉庫番です。今日はボカロ曲じゃなくってこの曲をN響アワーを聴いていてふと思った事を書いてみたり。

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文化って言うものが「その時々の背景を反映している」って言うのは確かに言われるところなんですが、その一方で「譜面に書かれたものが全てです」って言うような解説がありました。

相当深い話なんじゃないかと。

あ、別にハイカルチャーの話をしている訳じゃありませんぜ、と言うかおいらがハイカルチャーの話をしても似合いっこありませんから。でも、「譜面に書かれている事が全て」と言うのは芸術全般だけの話ではなく、あらゆる分野においてもそうなのかなと思うのです。その時々に起こった様々な事、その中であらゆる事は「事象」としてしか後には残らなわい訳でですので、考えてみるとそれは、「物事の本質を理解するのには、事象だけを追っかけて行くだけでは分からない」って言うような部分だと思うのです。

例えばボカロの話。
CGMとか色々な観点があるかとは思うのですが、「何故」今の時代にこのような文化が出てくるようになったのか、と言うことは今の段階から検討をしておく事が必要なのかなと思うのです。今までの「音楽」が辿ってきた道筋や「サブカル」(と一応言っておきます)のたどった道筋なんかも抑えておく事は必要なのですが、当然その背景にあるのは「技術」的な話もそうでしょうし、社会全般の動きもそうでしょう。そして、産業界からの視点もそうでしょうし、人間が何故「何か」を作りたいと思うのか?と言う部分もあるのかと思うのです。恐らく、単独の視点からでは何も見えてこない、いや、見えてくるのかとは思うのですが、あくまでも「ある一つの方向性から」しか見たものだけしか残らないと思うんです。果たして、それだけでいいのか?と言う部分もぼんやり思う所もあるんです。

他にも高速バスの話もそうですし、まちづくりの話にしてもそうなんです。企業経営一つにしても何にしても。

最終的に残るのは「その事象」だけ。
その事象に関してはテクニックの話であるとか、組み立て方の話であるとか、色々な観点がありますが・・・本当に何かを理解するためには「背景にまで踏み込んだもの」が実は必要であり、その部分の分析(って今は言っておきますね)が求められている、そんな気がしてなりません。

9分49秒と言う時間の中に詰め込まれた何かを理解すること、そのためには様々なものを理解する必要がある。
そう考えると・・・やっぱり世の中って言うものは「本当に深いもんなのだな」と思うところなのです。