静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

「間口は広く、敷居は低く」

 この間友人と話していると、こんな言葉が出てきた。直感的に腹に落ちたのであるが、さて、一体どう考えればいいのか?と言う事を自分のメモとして書いてみる。

・様々な事象の入り口として
 いろんな事象がある。趣味でも仕事でも何でもそれは問わない。まずは「興味」をどうやって持って貰うか、いや、その前に知ってもらうのか、と言う部分の戦略的なものとして考えられる。趣味にせよ仕事にせよ、その奥は極めれば極めるほど色々と深いものがあるが、初心者の方にいきなり「その深い世界」を見せても正直仕方ない。人によっては拒否反応を示すだろうし、最初から「こりゃついてこれないわ」と思わせたら、それはそれで「お客さんになってくれるであろう人」を減らすことになる。

・いろんな方向性の可能性を示す。
 その「事象」は他の人が思うほど一本道ではなく、いろんな方面へ途中で分岐したりしている。その方面への分岐を早い段階で示す、と言うものではないが、「色んなモノがありますよ」と言うことを提示すると言うのも方向性としてはアリなような気がする。
 当事者から見れば「こんなの違う!」と言いたい事もあるのかもしれないし、「こんな事していると誤解されてしまうよ」と言うものもあるかもしれないが、それって言うのは「中の視点」から見たものであるが故、と言うものがあるのかもしれない。
 むしろ、外部の視点からの方が「自分たちが内在して持っている視点以外の新しい視点」を持っているような事も十二分に考えられる。

・でも、最終的には・・・
 「どんな方向で」「どんな最終型を」常に持ってないとならないような気がする。そこらへんをコントロールするのは誰なのか?と言う事もあるし、そもそもその事象がコントロール出来るのかどうか、と言うのもあるのかもしれない。コアを形成する人とその周縁部の人で全く違う事を考えているのかもしれない。
 その部分をどうやって調整していくのか、が一つの鍵になるような気がしないでもないが・・・さて、一体どこから考えていけばいいのか。