静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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divergence

"divergence"、分岐点。
幾つものお客さんの想いを乗せて、幾つもの分岐点を通って、今、ここに居る。


「おーい、そろそろ出番だぞ」
「はいはい、今行きますよ」
そんな風に声をかけられて、東京の車庫を後にする。今まで走った事がない遅い時間帯にこのまちに居る。
「こんな風景だったんだね、このまちって。この年齢になるまで、見たことが無かったよねぇ」
「まぁ、お前の場合にゃ仕方ないだろ。今まで長距離路線を担当していたんだからなぁ」
確かにそうだ。この仕事をするようになる前は毎晩のように四国方面の路線を担当していたり、時には大阪への便も担当していた。そうなってくるとどうしても家を出るのが早くなってしまう。
だけど、今は家を出るのもめっきり遅くなった。それだけじゃない。今まで15分位しか止まってなかったサービスエリアで2時間以上も休憩してみたりとかなんて言うような仕事をしている。
「でも、何でこの路線を担当する事になったんですか?私だってもっと走れますよ。」
「いや・・・もっと走れるとかそう言う問題じゃなくって。自分のメーター見たことあるか?」
「え?メーターですか?」
確かに以前に比べれば一晩で回る回数は少なくなっていた。けれども、大変さ具合は少しも変わる事はない。
「そうだ、メーターだよ。お前もだいぶ疲れているから、この路線に入る事になったって言う話みたいだよ」
「そうなんですか。私もだいぶ老いぼれましたね・・・」


確かにそうだ。
同じ頃に生まれた大阪の子たちは、「プレミアムドリーム」と言う新しい服を纏って、今も元気に走っている。だけど、私はそんな事はない。四国のエキスパートとして今まで走り続け、今は静岡・浜松の専任として走っている。それでも、やっぱり自分の中で何かが違うような気がしてならない。やっぱり、最期まで四国のエキスパートで居たかったって思っている。
「けどさ、変わらなくっちゃならない時ってのがあるんだよね」
「変わらなくっちゃならない時・・・ですって?」
「ああ、そうだ。いつまでも同じ事をやっている訳には行かないからな」
確かにそうだ。初めて四国に行った先輩の話をどこかで聞いたことがある。大変だけど、新しい道を築いたって言う事は誇りに思っていたと言う。私だって、そんな先輩に憧れてこの仕事を始めたんだって思う。


「まぁ・・・、確かに俺やお前にしてみりゃ仕事なんだろうけどさ、お客さんにとってはそれが唯一の機会かもしれないし、本当に大事な一日かもしれないんだよな。誰かの想いのために走っている、それってもっと誇りを持っていいことなんじゃないのか?」
言われてみればそうだ。
確かにこの「ドリーム静岡・浜松号」だって、元々は千種さんの所が始めた路線だったけど、今では一日交替で走っている。流石に平日はそんなにお客さんは乗ってないけど、週末には色んなお客さんが乗ってくる。そこなんだよね。この仕事のおもしろさって。確かに走る時間は短くなったけど、「走る事の意味」は全く変わってはない。むしろ、今まで無かった所に新しく出来たこの路線だし、そんな所では自分が創った、って言ってもいいかもしれないな。
「・・・ん?何を考えていた?さっさと走って富士川でゆっくり寝たいってか?」
「・・・まぁ、そんな所でしょうね。」


 幾つもの分岐点を精一杯走り抜けてきた。
 そして、いつかやってくる最期の時まで、大事なものを守りながら走り抜けて行きたい。

JRバス関東 東京支店「ドリーム静岡・浜松号」 D674-99504号車