静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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先輩の死

Blogでこんな事を書くのも何だが,学校への行きがてらの車内で中学・高校の頃の先輩の死を知った.原因は心不全.確かに思い当たるところもないとは言えども,何はともあれ「残念」って言うのが偽らざる想いだろうか.
実際のところを言えば,自分が中学1年の時に吹奏楽部に入ったとき,その先輩はすでに高校2年生.年齢は5歳も離れていたって言うことや,別のパートの先輩って言う事もあったが,やっぱり自分にとっては大きな存在であった先輩であったのには間違いがない.卒業後は年に1回程度,定期演奏会の時に会う程度であり,確かに繋がりとしては稀薄であったのかな?って思う部分はあるが,何にしても「人の死」って言う事実は過去の想い出を一気に今に呼び戻す事であるのは間違いが無い事実ではないか.ただ,願うのはその死が「自殺」と言う最も悲しむべきと同時に,何があっても避けなくてはならない最大の過ちで無いことだけである.
確かに自分自身,そして,天に召されたその先輩もカトリック系の学校を出ているって言う事もあるので,流石にそれは無いと思うのだが(自殺は最大の罪である,って教えられましたが).本当に何かやり残した事はあったのか?まだまだ生きたかったんじゃないのか?って思うと正直胸が痛む.そう思うと神様もまた残酷な事をしやがるじゃねぇか,こん畜生め,と毒づいてみたくなるが.少なくともそこにある「事実」だけは甘んじて受け入れなくてはならないし,それが何をさしおいても「今,出来る事.」なのではないだろうか.しかし,正直言ってそれを受け入れたくはない,と感じるんだが・・・仕方ない.
後ろ向きにはなっちゃならんって言うのが常々おいらの思っている事な訳だが,時にはあの頃を思い出すのも悪くないのかもしれない.そして,何をしたかったのか,今,自分は何が出来るのか,いや,何をしなくちゃならんのか,それを本気で考える事が残された人間のすべき事なんじゃないのか?って思うわけで.取りあえず,本葬の日は時間が空いているので,最後のご挨拶をしに行ってこようと思う.そして,自分のしなくちゃならん事をもう一度考えてみようと思う.