静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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人がとけ込める地域

 で,酔った頭でこんな事を考えてしまった.
 同じ地域に住んでいる人は,その人の由来がどこであっても全く同じ問題を共有している訳だし,色んな立場からの意見があってもいい.そんな色んな人の意見を飲み込めるだけの「地域」ってもんが出来たとき,そこには大きな可能性が存在するんじゃないのかな,って思うわけで.
 法的に見れば在日外国人の参政権は存在しないし,やっぱりそこはある程度の歯止めがあって然るべきだとおもう.けど,仮に地域議会が出来たとき,そこには法的な歯止めは別に無くてもいいんじゃないだろうか.例えば,在日外国人の方が何かの会社を経営していて,まがりなりにも法人住民税を納付していたりすると言うケースがあったとしたとき,国籍的には確かに日本人じゃないのかもしれないけど,地域には「納税」と言う行為によって貢献をしてくれている.それならば,「納税」と言う行為に対して「権利」を与えても問題は無いのではないだろうか.と言うかその「地域」の中に暮らす以上同じ問題を抱えている訳だし,やっぱりその問題を解決するために,また別の視点から一緒に考えて欲しいって思う訳で,そーゆー考え方も一つの方法だと思うし,日本国内の都市間競争って言う視点ではなく,国を越えた都市間連携って言うものに向けての競争力の付け方なんじゃないのかな?って思う.
 バックボーンにあるものが違っても,やっぱり同じ国,いや,同じ地域に住んでいる以上は,その地域のために貢献して欲しいって思うし,国民国家って言う考え方から脱却する必要が今こそ実は求められていると思う.いや,確かにおいらはどちらかと言えば保守(って言うか右より)の考え方を持っているんだけど,言いたい事が言えない世の中,かつ,みんな同じ考え方を持っているって言う社会は正直言って大嫌いだし,そんな社会にはしたくないって思っている,色んな人が色んな事を自由に言える権利が守られる社会が一番大事なものだと思うし,その権利が守られなくなった時には,「このサヨどもは自分と違う正反対の考え方で気にくわないけど,自由に発言できなくなるって言う事の方がもっと気にくわないから,俺はウヨだけど自由に発言する事を守るために一緒にこの糞サヨどもと一緒に活動する」って言うような選択肢を取るんじゃないのかなぁ,って思うんじゃないのかな,と.それこそ,宮沢さんあたりが言っている「自分じゃやんないしやりたくないけど,社民党はやっぱ必要な政党だよね」って言う考え方に近いんじゃないのかなぁ,って.
 だけど,これだけは言っておかなくっちゃならないか.
「自由って言うのは批判をするだけじゃなくって,自由が存在すると同時に義務を果たさなくっちゃならないし,批判をするだけじゃなくって,批判に耐えうるような対案を持っていなけりゃならない.ウヨもサヨも,一番大事なのは真摯に考え,お互いに冷静になって議論が出来るってこと」
・・・うわぁ,酔った勢いで何かすげー事書いてますがw,結論としては「お互いがお互いを認め合い,尊重し合う」って言う事な訳で.