静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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鉄道擬人化本とモノへの愛着

 何故「擬人化」っておにゃのこにしてしまうんでしょうか?鉄道だけじゃなく,OSでも何でも(笑).と言うのは別にして,冬コミの時に買えなかった「静岡地区の東海道線電車を擬人化した同人誌」が,今日開催された「サンシャインクリエイション」って言う同人誌即売会で売られていたので,実はその本を購入するためだけに東京まで出かけたって言うのが真実らしい.んまぁ,事の是非は別にしても「もし,人間だったら」って考えてみるのは結構面白いと思うわけで.個人的には,おいらの頭の中では373系(快速「ムーンライトながら」に使われている車両ね)なんかはオミズ系のお姉様なんだが,昼間も身を粉にして働いているしっかり者だったりとか,371系(特急「あさぎり」の車両)なんかは「箱入り娘」って言うイメージがあるんだが.ついでに言えば,山手線のE231系(最近増えてきた山手線の新しい電車)は,何故か一人称が「ボク」なんですが(謎).
 こう考えると結構面白いもんですわ.今まで一生懸命仕事をしてきた電車が後輩に道を譲る時なんかはどんな会話しているんだろうなぁとか,通勤通学の途中でおためしあれ.
 ・・・いや,違うって(苦笑).
 でも,確かに鉄道車両は「無機物」であり,そこには感情が入り込む余地なんてものは微塵もない.基本的には「安全にお客様を目的地に運ぶ事」を目的として創られたわけだし.だけど,「モノ」に対する愛着とか感情を抱く時って言うのは少なからずとも誰にでもあるんじゃないんだろうか.そう,小さい時に大事にしていた玩具が壊れてしまったって言う経験を持つ人も居ると思うし,パソコンにしても新しいものを買うと言う行為はそれで楽しみな部分もあるかとは思うのだが,その一方で古いパソコンに対して色んな思い入れもあるかもしれない.車にしてもそうだしそれこそ家にしてもそんな部分はあるはず.
 別にアミニズムとか言う小難しい事を言うワケじゃないが,「モノ」に対する感情って言うのはやっぱり大事にして行きたいなぁって思うわけで.モノは使う人によってその意味や想いが異なってくるワケだし,モノそのものが作られる過程の中においては様々な人が様々な想い〜単純に売れる商品を作る,と言う事だけではなく〜を抱いて作るはず.それだったらやっぱり,そのモノの裏にある様々な意図や想いを汲み取るスキルって言うのはやっぱり求められてくるんじゃないのだろうか.そう思うと,この「擬人化」って言う一連の流れも「モノへの想い,愛着」が溢れているって言う感じがして非常に愛おしい,と言うか「いいなぁ」って思える部分が存在するんじゃないだろうか.
 実際と言うか何と言うか,JR東海が新幹線品川駅開業の時にやった「AMBITIOUS JAPAN」キャンペーンは3月以降も継続される事になったんだが,これなんかは「モノへの愛着」とは多少違うかもしれないが,新幹線と言うシステムに多くの人が持っている想い,そして,JRが新幹線と言うシステムを通して訴えたいことがマッチングしている希有な例なんじゃないのかな?って思う.まぁ,根本には「新幹線」と言うサービスを売る(有り体に言えば「のぞみ」のPRなんだけど.どうせ静岡止まらないから関係無いけどねw)って言うCMそのものの持つ意味があるんだろうけど,根本にあるのは「モノ」への「モノ」を越えた意識があるんじゃないのかなぁ.
 九州新幹線開業の日のニュースで,修学旅行生が「初めて新幹線に乗ります」って言ったときの笑顔,ここに全てが凝縮されているような気がする.