静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

でまぁ,考えちゃった訳だ.

 その後,閉会までPioに居て,その後何故か秋葉原まで戻った上でぁゃιぃものを購入して静岡に帰ったわけなんだが,何か色々と考えてしまった.
 まぁ,おいらは学校に通っているし,仕事もあるので平気で電車に乗ってあちこち出かけているワケなんだが,世の中にはウチの両親のようになかなか外へ出かける事が出来ない人もいる.だったらお前が連れ出せば,って言う事が言われそうなんだが,ええ,確かにそうなんです.出来ればやっているんだけど,どうもそう上手く行かないのは世の中の常なんですよね.これを介護の問題と結びつけて考えてみる.
 確かに障害者を抱えている家庭なんかだと,それによって行動に制約が課されてしまう条件がある.なかなか外へ出れないって言う事や,所得に係る部分もあったりする.でも,最大の問題って介護をする人間の問題なんじゃないのかな?って思うワケで.それこそ,自分なんかが仕事をやっていても,「たりー」って思えば一服する事もできるし,それこそ有給休暇取ってふらっとどっか行く事もできるワケなんだが,介護をする人って言うのはそれが出来ないんだよな.まぁ,それを不幸と言うか何というかは別の話にしても,早晩行き詰まってしまう事があるんじゃないだろうか,いや,現実問題として森鴎外(だったかな?)の高瀬舟って言う小説もあれば,介護疲れで心中って言うイヤ〜なニュースも耳にする.
 確かに分かるんだけど,そんな事がまかり通っていいのかなぁ,って思う.
 男性だったら隠れてする何か(何かが何とは申しませんが)の楽しみがあるだろうし,女性だったら近所の仲のいい人と一緒に行く旅行とか食事とか,色んな楽しみがあると思う(あ〜,言っておきますが不倫はダメ).そんな楽しみをする事によって現実と向き合う力も出るのだと思う.介護を他人任せにする,って言う事の倫理的な問題はあるにしても,やっぱり時には・・・って言う事があってもいいんじゃないのだろうか.実際に仕組みとしてはデイサービスとか色々とあるらしいんだが,早めに予約しないとダメとか言う事で,突発的な事に対応できないって言う話を良く聞く.
 かと言って程度の低いサービスばっかりって言うのも問題だと思うんだが,そんな相互扶助の考え方って実はこれから先求められているんじゃないのだろうか.行政がやりゃぁいい,って言う意見もあるかもしれないが,果たして行政がやる事によって本当に問題解決になるのか,って言えばそれは激しく疑問.それこそ,同じ地域の中で問題意識を持っている人が集まって何か事業を興すって言う方向に向かっていくって言う方向性が必要なんじゃないのかなぁと.