静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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「渋谷と呼ばれたまち」を歩いてみる。

 id:sa-50さんや、コピペ大臣さんとの話の中で「渋谷」論が結構盛り上がっていたので、取りあえずは自分も一度歩いておかなくてはと思い、大船で快速アクティーを捨て、湘南新宿ライン宇都宮行に乗って渋谷で降りてみた。まぁ、市ヶ谷から乗り越しって言う事で160円払ったんだけどな(大井町・有楽町・秋葉原経由の定期なので)。
 やっぱり正直な話、おいらの肌には合わない。何かこうゴミゴミしているし・・・って言う訳なんだが、街灯にかかっていた祭りの旗に目が行った訳で。思わず携帯の写真で切り取ってみる。Loftが手前にあり、奥には丸井がある。そして、そこに存在する過去からの歴史の象徴である「祭」。一体この違和感は何なのか。しかし、実際にまちの中を歩いてみるとそう違和感も感じない。これまた不思議な話で。まぁ、学校の講義前に書いているので自分自身じっくりと考えている訳じゃないのだが、直感的に思うのは、やっぱりこの「違和感」だと思う。それこそ、虚無が田園都市線と言う水脈を伝わって来て渋谷の谷に湧出している中に、その地域の存在価値とも言える「祭り」。虚無と存在意義、違和感を感じるのに、その違和感を感じない所に違和感を何故か感じてしまう。・・・何か自分でも訳わかんねーやw。ただ言えるのは、「地域の存在意義も、大手資本の中に飲み込まれてしまう」と言う状況であるかもしれない。
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 で、ここからが新幹線の車内で考えた事の続き。
 以前コピペ大臣さんに紹介して貰った「広告都市・東京」を多摩の図書館から取り寄せて一通り斜め読みをしてみたんだが、案外「なるほど」と思わせる部分が結構存在する訳で。まぁ、過去においては西武資本と東急資本が「地域を広告化」すると言う手法で独特の空間をそこに創出したって言う事実が存在する訳なんだが、確かにその「地域を広告化する」って言うものに関して言えば、池袋西武の事例で確かにそれは体感していたと言うのが実際の所である。今からかれこれ25年位前には川越に住んでいた事もあったし、母親の実家が板橋にあるって言う事で、池袋は非常に近い空間であった。しかし、考えてみれば東武百貨店にはそんなに行かずに、殆どが西武位しか行かなかったし、おまけに「池袋は怖い町」って言う事を母親から言われていたのを思い出す。その中で池袋西武だけは「行っても大丈夫」って言っていた事を考えてみると、店舗の中は外界と遮断された空間が成立していたのかもしれない。そこから類推する事によって当時の「渋谷」と言うまちを想像する事はそんなに難しくないのかもしれない。
 リアルな小学生であったおいらが持っていた「池袋西武」に対する幻想(と言うか、半ば信仰に近いものもあるかもしれないが)が、当時の若者〜今で言えばそれこそ40前後の方になるのか?〜が渋谷と言うまちに持っていた感覚に近いものがあるのかと考える。
 ただ、実際に今日歩いた中で〜と言うか、「広告都市・東京」を読んで気がついたのだが〜、言われてみればヲタクの聖地「アキハバラ」に近い雰囲気が存在しているって言う部分があるって言うのはどことなく感じたわけで。
 アキハバラを歩くと、そこに存在するのはありとあらゆるヲタを(´Д`;)ハァハァさせるものが存在している。それこそ、メイド喫茶もあれば(おいらは行った事無いぞ、念のためw。一度は行ってみたいと思うが)、エロゲのキャラクターポップが置いてある店もあるし、「何でこんなもんを公然と売っているんだ」なんてものも一本入った露地では売っている訳で。まぁ、少なくともヲタ業界事情をザラっと把握するには一通り歩いておけばソレで済む。件の本の言葉を借りれば「コンビニ」的な存在であるのではないだろうか(まぁ、コンビニって言う割に余りにDeepなものもあるって言うツッコミは無しね)。
 で、渋谷を歩くと・・・確かにヲタ業界のように直截的かつ露骨な形ではなく、かつ、見事なまでに巧妙に洗練されたものではあるが、対象となるObjectがヲタ関係かそれ以外か、って言う部分だけの違いだけなんじゃないのかと思わせる位に感じたわけで。まぁ・・・確かに極論って言うのはおいらもそこは理解しているんですけどね、ええ。理解はしています。
 立地って言う事で言えば渋谷がGateway的な要素を持つのに対して、秋葉原がその要素を持たない(まぁ、実際にはそのうち開通するつくばエクスプレスの始発駅になるので、その要素を持つようになるんでしょうけど)って言う違いもある訳で。恐らく、地域性の違いってもんは「後背地の持っているものの違い」に行き着くような気がしないでも無いのかな?って考えるわけで。
 渋谷の場合には東急田園都市線(まぁ、最近では半蔵門線を通して東武伊勢崎線からも直通で行けるようになりましたが)と言うイメージ戦略で成功した路線を電鉄資本が持っている。で、秋葉原の場合は強いて言えば京浜東北線と総武線、まぁ、あとは日比谷線があるって言う位でしょうか(この際、銀座線って言うのは考えない事で)。そこで「ヨソ者が闖入してくる余地があるかどうか」って言うものがあるんじゃないのかな、って思うんです。秋葉原には昔から電気製品販売の商業集積が存在し、その商業集積が時代の流れに対応して今のヲタの聖地を築き上げた訳で。で、渋谷の場合には確かに東横電鉄の時代からの集積はあったものの、東横線の性格がどちらかと言えば「都市間連絡」が強かっただけに、その後で渋谷乗り入れを果たした当時の新玉川線(前身の玉川線もあるけど、あれはどちらかと言えば今日的に言えばLRTの性格が強いかと)によって郊外の需要が一気に増大しただけに渋谷と言うまちの「市場価値」が高まったのではないかと愚考する訳で。こうなってくると確かに「西武や東急資本が入り込んでくるのも訳が無いな」って思う所なんです。
 その中で、地域性がどのようにして残ったのかと言う差異が発生してきたんじゃないのかなぁ・・・って思うんです。
 まぁ、最後は結論が出ないままなのかもしれませんが、少なくとも画一的な都市はおいらは嫌いですし、色んな顔があり、その中から「創」が立ち上がるような都市空間、それが一番大事なんじゃないのですか?って締めくくってみます。ちゃんちゃん。