静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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守りたい風景。

 そう、いつの日からだろうか。「まち」と言うものに興味を持つようになった。それは「京阪大津線」と言う一つの鉄道路線を通して「大津」と言うまちと「京都」と言うまちを眺める中で鉄道の持つ可能性、いや、そこに存在する必然性を考えた事に始まるんじゃないのかな?って思う。その「京阪大津線」と言う共通項の中で、自分は商業に関して様々な事を調べる事になった。
 そんな中で思ったこと。「大きい都市は大きくなり続け、小さな都市は吸われる一方」それが心のどこかで抱いた自分なりの結論だった。その結論に自分は驚きもせず、かと言って悲観的にもならなかった。それが現実だからであった。けれども、そこにある「大津」と言う都市が持つ物語、そんな「物語」を大事にする事が将来を考えるための一つのヒントになるにではないか、そんな風に思ったのである。そして、その「物語指向」は一旦地下水脈のように自分の中に取り込まれる事になった。だが、決して社会の一面だけを見て判断してはならない、ある事象の裏に存在するもう一つの物語、そこを常に見続けて行きたい。それが自分の行動規範になったって今では思う。
 そんな中で旅行会社に就職し、日本中の色んな都市を見てきた。そして思うところがあって退職し、今の勤務先に就職する事になった。まぁ、実際には「拾って貰った」って言っても過言ではないと思う。色んな偶然の重なり合いの中で選んだ自分の道だったと思う。確かに、JR東日本の採用試験に受かっていれば今頃どこかの駅で制服を着ていたかもしれない。だけど、その夢は叶わなかった。いや、叶わなかったのではない。「もっと別の道で、自分を活かして欲しい」そんなメッセージだったのかもしれない。だから、今ではJR東日本には感謝をしている。おいらを落としてくれてw。
 そして、今の職場。最初の1年目から「商店街の活性化」や「中心市街地の活性化」と言う事業を担当する事になった。確かにエキサイティングな仕事であった。だけど、その中で今の地域が抱えている問題、そして、制度が抱える問題にぶち当たってしまった、それが実際の所であるのかもしれない。ただ単に「商店街や中心市街地を活性化しても意味はないのでは?」そう思い始めた頃、総務(出納)に異動する事になった。志半ば、とその時は思った。経理の事なんぞ何も分からない自分に一体何をやれと言うのだ?正直辛かった。今でも辛い(苦笑)。早く異動させてクレ。もう3年目なんだからw。(今日、来年度の新体制が発表されているって思うんだが、まぁ、来年度も総務残留だな( ´ー`)y-~~と踏んでますが何か?)
 もし、神様が居るのならば「なかなか味な事をやってくれるな」と今では言える。出納と言う業務を担当しているおかげで、勤務先全体の財務状況をマクロな視点で見る事が出来るのである。この業務を通して様々な問題点を把握する事が出来たと思っている。その中で一つのテーマが見えてきた。

小さな問題の裏にある大きな問題

 何故商店街の衰退が大きな問題になっているのか?
 商店街の衰退を食い止めるためには、何をしなくてはならないのか?
 そもそも、何でそこに商店街があるのか?
 何故そこに、人は住むのか?
 って言うか、結局「地域」って一体何よ?
 「地域」を活性化するためには、何をしなくちゃならないか。

 正直、産業政策だけでは解決できない問題がそこにはあった。確かに、自分の勤め先は「産業」と言う観点から物事を考える必要があると思うが、一人くらい「産業」って言う観点だけじゃなく(いや、当然その「産業」って言うものに対する知識は必要だけど)、その様々な産業の背景に存在するもの、すなわち「地域性」って言うものから考える事が出来る人間が居てもいいんじゃないの?って思うようになった。「ある事象をある観点からのみ」見るのではなく、複合的な観点で見たいと言う自分の行動規範、それが「何かしたい」と言うモチベーションになったのではないのだろうか。
 そんな事を考えている時、ある新聞広告に出逢った。それが今日、卒業式を迎える事になった大学院のそれであった。「ダメでもともと、やらずに後悔するよりやって後悔したい」。それが始まりだった。
 そんな時に浮かんだ風景がある。
 東海道線に乗って東京に行くとき、由比の海岸から見る朝日に輝く駿河湾伊豆半島の山々。小鹿の山から見た静岡の街並み。
 守りたいもののために、もう一度刃を磨くときが来た。守りたいものを守るために、自分を鍛える。決して誰かに言われたからでもないし、何かプラスになるからじゃない。烏滸がましいかもしれないが。「大事なものを守り抜きたい」、ただそれだけである。
(ここまで、東京駅で更新)