静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

またもや長くなるので・・・


# コピペ大臣 『詳しい返答ありがとうございます。
可能性はあると思います。ただ市町村レベルや沿線レベルの競争は確かに活性化されると思うのですが、もっとマクロで見れば不効用の方が大きいように思えるのです。鉄道を造って人間の活動圏を拡げれば、リンクコストが増大するとともに防災などのインフラ投資が広く薄くおこなわれる事になって、良好な都市環境が永久に提供されないのではないかという懸念があるのです。
「縮小的」と書いたのは、作ることを減らすだけではなくて、都市圏自体を小さくするマイナスの開発です。TX開発のお金を、都市のコンパクト化や既存市街地のテコ入れに使ったほうが良いのではないかと思うのです。
とは言っても確かに「できてしまったからには上手に使おう」というなら三番蔵さんの言う通りで、これを機会に沿線は頑張ってもらいたいところです。』
 おとといに引き続き、コピペ大臣さんからのコメントをもとに色々と考えて行こうと思うわけで。重ね重ねコメントありがとうございます。
 恐らくポジションが違うって言う事もその根底にあるのかな?とは思うんですが、確かにこの指摘は「拡大的に考える」と言う、現在の行政機関が持っているスタンス(って言うか、基本的に縮小って言う事はそんなに考えないですからね。その事の是非は別にして)から見ればかなり痛いところを突いていると思います。
 鉄道を造って人間の活動圏を広げる、確かに需要があるところにはその需要を満たすだけのインフラを作らなくてはならないと思いますし、その具体例として東名高速道路があると思います。確かに平時においてが非常に便利な高速道路ですし、自分自身も浜松や三島・沼津方面への出張の時には東名高速を使っています。ですが、事故が起きれば明らかに不効用が発生してきますし、自分自身も前職の時に大事故の影響を食らって大変な目に遭った事もあります。

現東名は、利用する車が増え、あちこちで渋滞が発生して、スムーズに走ることが難しくなっています。
現東名の渋滞回数は、約1,700回/年(静岡県内 平成14年)となっています。
現東名の人身事故の発生状況は、県内全区間で453件(平成14年)で、1kmにつき2.5件発生していることになります。(参考:中央自動車道山梨県内は200件で、1kmにつき1.4件発生)
第二東名と現東名の交通機能の分担■静岡県
 実際にググってみるとH14年度の数字ですが、こんな数字が出てきました。まぁ、静岡県内の話ではありますが。ある一定の効用を得ようとして東名を使うのはいいが、結果として事故が中央道の山梨県内に比べて2倍以上もあるって言う数字です。ですが、潜在的な問題として、特に静岡県内の場合ですと「東海大地震」が危惧されており、現に今この段階で警戒宣言が発令された場合、県や市町村は地域の住人だけではなく、東名高速を走っている車のドライバーに対して一時的な避難場所を提供する必要性があります。また、何もこれは東名高速だけではなく、東海道新幹線にしてもそうです。去年の新潟県中越地震の際にも書きましたが、これらの多くの通過交通に対する責任も果たす必要性が発生してくる訳で。確かに非日常的な経費ではありますが、防災対策として準備をしておく必要はあるかと思います。
 TXの場合は、「これから作る」と言う(現実的には、もう出来上がっている訳なんですが)事によって将来発生してくるコストが確かに存在しますし、確かにそのコスト負担分をを都心部の再開発や良好な住環境に投資する事によって、都市の価値が向上するって言う事もあるのではないかと思います。確かにそれは間違いはないと思いますし、可能であればそのような方向性を持たせる事によって地域内で完結する問題解決のプロセスを形成出来るのではと思いますし、外部の不安定要素を可能な限り排除する事によって補完性の原則を貫き通す事が可能になるのではないのかな?とも思います。
 ですが、個人的にはちょっと気にかかる部分もあるんです。
 果たしてClosedな地域を作る事が本当に地域にとって幸せな事なのかどうか?と言う部分なんです。地域社会を持続させる事は重要な事ではあるとは思うんですが、その地域社会が十年一日なものを守り続ける事が幸せなのか、それとも、イノベーションが地域の中で様々な形で起こり、常に「何かが生まれてくる」ような地域であるのが幸せなのか、どちらが地域にとって一体望ましいのか?と言う部分なんです。「幸せ」と言う言葉の概念から捉え直さないとならない訳なんですが、これはまた後日考えてみる事にして。
 正直、今の自分自身にはどっちが望ましいのかなんて事は分かりませんし、少なくともその考え方を他人に押しつけると言う事は余りに烏滸がましく、やってはならない事であると思っています。でも、常に「どうすべきか」と言う問題意識は持つ必要は少なくともあるのではないでしょうか。本当ならば、この部分から様々な問題を捉え直し、様々な政策に反映をさせて行くべきであるとは思います。
 ・・・とは言え、正直な話それが出来れば苦労はしないのかな、って思う自分もそこに居る訳で。「声の大きさ」って言うのも実際にはあるかとは思います。確かに「市民」の声と言うのは重要であるかとは思いますが、その市民の声が本当に「市民」の声を代弁しているのか?と言う意味では疑問に思う部分もあります。様々な立場の人が「市民」として地域に存在する訳ですから、その地域の中のポジションを活かして「大声」を出す人もいます。中には「声の出し方」をよく知っている人もいる訳で。ですが、そのようなテクニックに惑わされる事無くやって行く必要と言うのも感じる訳で。まぁ、そこまで来ると政治の役割かとは思うんですけど。
 確かにハコモノに関しても「一部の人の声」と「一部の人の声」だけが目立ってしまい、正直な話、そんな議論はもう聞き飽きたって言う所も感じたりします。そんな部分からどうやって脱却していくのか、って事を考えなくっちゃならない時代なのかなぁ・・・なんて思っている訳なんですが。
 正直、難しいです。この問題に答えを出せたら今の会社辞めるかもしれませんがwwwっw。まぁ、少なくともしばらくは考え続けなくっちゃならないですね。はい。