静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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戦いの記録。

 埼京線からりんかい線への直通始発電車。そう、いつもこの電車で現場に向かう事にしている。板橋駅から国際展示場駅間の約40分、今回は"Vanille Rouge -ヴァニーユ・ルージュ-"を聴きながらテンションを上げる。今年最後の戦いに向けて。そう、それもスーツ姿で。
 電車から降り、コンコースに上がるといつもと変わらない風景が迎える。

 そう、年に2回だけ出現するこの光景。まさしく「その日」に国際展示場にやってきたんだな、と感じる。
 |-`).。oO(ここに出ている広告の作品って見たこと無いんだよな)
人混みを縫って歩くと、そこは荘厳とも言える光景が広がっていた。

 白んだ空にシルエットで浮かび上がる▼▼。そう、冬でしか味わう事の出来ないシルエットだ。入場待機列を横目に見ながら歩くと、さぁ、いよいよ戦場。地獄への門は開かれた。そして、その門番は・・・某桶の中の人www。ちょwww、おまwww、マジですかあんたwww、と軽口を叩いて地獄の東5丁目シ号42番地へ。そう、ここで討ち死にする覚悟(誇張90%)はあった。ノロウィルス、インフルエンザウイルス、埃、そして匂い。戦意を喪失させるものがあったが、漢ならばそこに向かって行かなくてはならないwww。
 戦いの準備を粛々と進める。

 我らここにあり、とその旗幟を示し、

 迎え撃つ多数の砲弾。いくらでもかかってこんかい。
 そして10時開戦。しかし、今回は12時すぎに来襲がずれこむ。総員決死の勢いで防空に勤め、1559に終戦を告げるアナウンスが流れる。そう、それは前代表であった米澤氏に対する黙祷を全ての参加者に捧げるためのアナウンスであった。

 場内から音が止んだ。
 この「場」を作った先人への敬意。そして、立場に関係なくこの「場」を守り、育てていくと言う誓い。
 想いや立場、思想信条は恐らく一緒ではない。しかし、この「表現の場」を守る事、それはその場に立つ者に課せられた使命ではないだろうか。
 そして、戦いは終わった。これで正月を迎えられる。

 その後、豊洲までゆりかもめ、豊洲から有楽町線、有楽町から山手線で東京まで向かい、戦友と別れて清水行の「いつもの高速バス」に乗り込む。