静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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最後の、旅路。-特急東海号・最後の乗車記(3) 思い出の車窓。-

 結論から言おう。この東京行の車窓はそれこそ何回も見てきたし、はっきり言えば「見飽きた」風景である。列車はそれこそ、この特急東海号であり、時には普通電車であり、時にはサンライズ出雲・瀬戸号であったりする。それこそ、静岡から都内の大学院に通学していた頃には毎週のように眺めた車窓。
 だが、大きめの椅子に腰を下ろし、一服しながら眺める車窓はまた違った眺めである。東静岡を通過し、毎日の通勤で使っている草薙も通過。右手には静鉄電車が併走する区間。清水で多少お客さんを乗せ、興津を通過して個人的には東海道随一の景勝地である由比の海岸にさしかかる。

 進行方向右手車窓からも富士山を眺める事が出来るこの区間。沿線には最後の力走を収めようとするカメラマンも多く見る事が出来る。あの頃は窓が開く列車、今は窓が開かない列車と言う違いはあるが、やはりその風景は今も昔も変わらないと思う。今でこそこの東海道線ではなく、東名高速をバスで走る事が多いが、それでも大好きな光景の一つであることには変わりはない。

 富士川鉄橋を渡ると左手には富士山が大きく姿を見せる。以前はこの富士市に住んでいた事もあり、真っ正面から見る富士山が「当たり前」と思っていた事もあった。しかし、今ではこの富士山を見慣れているものの、やはり「なかなか見る事の出来ない」光景になっていたりするのもまた事実。車窓に富士山を楽しみながら一路東へ向けて走っていく。
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 予約した段階では、窓際席を確保できたものの「残席少」と言う状況であった。まさか、自分のような記念乗車組で予約が一杯になっているのか?と思ったのだが、そんな事は想像していた程なかった。確かにそれっぽい雰囲気の人も見かける事は出来たが、自分の視界に入る座席は東海管内では空席。何回となくこの「東海2号」の指定席2号車を使ったが、大体は熱海や湯河原から伊豆の温泉帰りのお客さんが乗って来て満席、と言う事が多くあった。さて、今日はどうなる事かと思っていたが、基本的には全く同じだった。
 やはり熱海から温泉帰りとおぼしきお客さんが大挙乗車してきたが、結局東京まで自分の隣の席は埋まる事が無かった。廃止1週間前でもこの状況。ああ、良くも悪くもやっぱり「東海2号の普段の姿」がここにはあった。そう思うと、最終日の4号ではなく、1週間前の2号に乗る事が出来て良かったと思う。なぜなら、「普段の姿に近いうちに乗りたかった」と思っていたからである。
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 国府津を出ると、小田原までの俊足が嘘のように遅くなる。恐らく先行している普通列車があるのかとは思う状況。そして、平塚の直前。

 東海号、と言われてすぐ思いついた工場は再開発のためか、既に解体されている状況であった。まだ3年くらい前にはこの工場もあったと思うのだが、やはり色んな意味で「変化している」と思う所がある。確かに沼津近辺も昔は畑だった所に住宅が建ち並ぶようになった。それは仕方ない事かもしれない。時間が流れ、その社会に適応した土地の使い方になると言う事は。そして、東海号も歴史の中の列車になってしまう事、それもまた仕方ない事なのかもしれない。そして、列車は横浜を抜け、多摩川を渡り、東京都内へ。東京駅到着は定時。