静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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アリーナ論。

 id:sa-50さんの所を見ていると、今回の[九州奇行08]の一つの目的である「旧国鉄志免炭鉱跡の立て坑櫓」をどうやって「評価するのか」って言う事で面白いエントリがあった。


 石炭、炭鉱地帯といえば筑豊だが、筑前でも炭鉱は多く立地していた。福岡市内の西区、姪浜にも確かあったはずだし、志免なんていまや完全に福岡都市圏だ。そういうところの失われつつあるルーツを残していく、それをどう住民に理解を求めつつ資源として使用していくのか、ってのが行政に課せられた役割なのかなあ、とか思うわけだ。もちろんこの考え方は行政だけではなくて、小売だったら出店退店時に回りに与える影響、単純な損益資金以上の影響をどう計算するのか、というのに使えそうな気がするし、そういう視点がこれから大事になってくるのではないかろ思量するところだ。
 ちょこっとした暇を見つけて色々と調べてみてはいるのだが、確かに外来者の視点から見た場合には「面白い構造物」であると同時に、そこから周囲の歴史やその構造物が出来た背景と言うものを見ていくのは非常に知的好奇心をそそられるものだと思う。きっかけは別にしても(謎笑)。
 「産業遺産」と言う最近のトレンドから見た場合には、その象徴となる建物はモニュメントとしての存在価値はあると思うし、それを有効活用する事がいわゆる「地域資源の活用」と言う事になるのかもしれない。だけど、ここで考えなくてはならないのは「その地元の人がどう思っているのか?」って言う本当に「足下」の問題になるのかもしれない。言ってしまえば「その地域の人のある『もの』に対する想いがどれだけあるのか」って言う事が一つの判断材料になるのでは無いか、と言えるかもしれない。
 ここ最近ネタとして使っている鷲宮神社を例に取って考えると、そこには「らき☆すた」と言う外来的な要因があるものの、基本的には「鷲宮神社」と言う関東でも由緒正しい神社を核としてどのように地域の活性化を図っていくのか?と言う問題意識の存在がそこにある。その問題意識を解決するための方策としての一つのネタが「らき☆すた」とのコラボレーションになるものと思われる。仮に鷲宮神社が(言い方が悪いものの)そこらへんにある「どこにでもあるような神社」であったら、果たしてここまでの地域全体の盛り上がりになったのか?といわれれば正直疑問な所である。「何とか地域にあるものを使って、何とかしたい!」という強い意志の現れと見るのが妥当な線だと思う。極端にいえば「別にどうでもいいや」と思っている人が多ければ別に何もしないのではないか、と思う。
 変な言い方ではあるが、志免炭鉱跡を活かしたいと思う住民が多ければ、そのまま積極的に手を入れつつも今後の活用を図るべきだと思うし、「もっと大事なイシューがあるでしょ?」っていう考え方をする人が多ければ、それこそ解体の上適当な開発をするのが望ましい、なんてように思ってしまう所もある。しかしながら、その「場」が持つ「来歴」というものは決して無視してはならないし、今の「地域」というものが存在する根底には「歴史」という消し去る事が出来ない事実がそこに存在している、というものも考えなくてはならない。たとえどんなに素晴らしい政策が出来たとしても、そこの住民が受け入れる事が出来なければただの「絵空事」に過ぎなくなってしまうからだ。(例:沼津・三島コンビナート計画)
 ここで思い出すのは先日のシンポジウムの中で某県の元商工労働部長が言った「行政なんか頼っちゃダメ」という言葉だったりする。基本的には自分たちで方向性を決めるのが重要という考えであり、あくまでも行政はその一アクターである、という考え方ではないのだろうか。行政のイニシアティブではなく、あくまでも地元の人々の意志を尊重するという事が重要であるという点。その中で行政は「困っている時にそっと手をさしのべる」存在であるべきなのかな、と思う所で。
 色々考えると、究極的な問題は「アリーナをどうやって地域に築いていくのか」、っていう所につきるような気がしないでも無いなぁ・・・。