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これは不味いじゃね?


 日本ユニセフ協会は17日、児童買春・児童ポルノ禁止法の改正を求める約2万1000人の署名を添えた要望書を与野党6党に提出した。18歳未満を写した性的な画像・写真について、個人で見るためだけに持っている「単純所持」を処罰対象とすることや、性虐待などを描いたアニメなどの表現物も違法とするよう求めている。
 同法改正を巡り、与党側は一方的に画像を送りつけられた場合などを除く形で単純所持は処罰化するが、アニメなどについては見送る方針。民主党は改正賛成派、反対派双方からヒアリングを続けている。
<児童ポルノ禁止>日本ユニセフが法改正求め要望書◆Yahooニュース 4/18確認
 規制すべきって言う理由は分かりますし、最近の色んな状況を見ていると「確かに児童ポルノは不味いだろ」って言うのは分かります。ですが、私はこの法律改正に関しては反対のスタンスを取っています。
 前々から書こうと思っていたのですが・・・なかなか書く時間が無かったので、長文になりますが書いてみます。
■規制を強める事の是非
 その昔、アメリカで禁酒法って言う法律があった事はご存知だと思います。それこそ「アンタッチャブル」って言う映画でその頃の様子が描かれていますが。結局表では「公的にお酒は出せない」と言う事になっていましたが・・・闇社会ではギャングが「闇酒場」を経営し、莫大な利益を上げていたと言います。「高い金を払っても酒を飲みたい」と言う需要曲線と「高くしても十分ペイする」と言う供給曲線を消す事は出来なかった訳で。結局最終的にはこの法律は廃止されてしまいましたが。
 少なくとも「児童買春・児童ポルノ禁止法」と言う法律があると言う事実を考えると、当然それに対する需要と供給があると言うのは言う間でもありません。性癖をそう簡単に矯正できるものではない事は、性犯罪者が再犯をすると言う事実がある事がそれを示していると思う訳で。当然法律で「禁止」されている以上、その市場は闇で形成される訳であり、資金が所謂暴力団のような団体に流出してしまうと言う事は言うまでもない所かと。そう言う観点からは「そんな闇社会に手を貸すような法律があっていいのか?」と思う所で。何らかの形で闇社会がそのような市場から資金を得る事を出来なくするような法律とパッケージ化されないとならないんじゃね?って思います。まぁ、それこそ「アンタッチャブル」の主人公のように「脱税容疑」で捕まえるしかないとは思うんですけどね。後は裏で闇利権を貪っている連中をどうにかしないとならないんですが。
■何が「性的なもの」なのか?〜恣意性と客観性〜
 例えば・・・おいらあたりがどっかの駅で学校帰りの小学生が電車を待っている場面を見て「何か和むなぁ」って思って写真を撮り、「なかなかいい雰囲気だな」って思ってこのBlogにうpしたとしましょう。ある人は「地方の足を守っている鉄道の風景だな」って思うかもしれません。別の人は「子供の表情が楽しそうでいいね」って思うかもしれません。ですが、「やべぇ、この子(以下略)」と思う人も居るかもしれない訳で。で、この3番目の人にとってはその「人物が入っている駅の写真」が「児童ポルノ」になってしまうんですよね。当然そうなると「児童ポルノ」の撮影者として撮影者の意図が全く別の所にあったとしても、私は逮捕されてしまい「前科一犯」になってしまいます。当然会社もクビになってしまいますし、「何気なく撮った1枚の写真」で人生を棒に振ってしまう訳で。それこそ入浴剤と洗剤を混ぜ合せて出てくるガスで楽になるしか無いのかなぁ、なんて思ってしまう訳で。
 第2の問題はここなんですよね。何を以て「性的なもの」と判断するのかと言う点。明確な基準が提示できない以上、そこには恣意的な観点が入り込んでくる危険性が存在します。法律と言うものが「恣意的な基準」で物事を判断していいのかと思う所があります。それこそ、最近流行の「痴漢冤罪」と同じような嫌な匂いを感じるんです。「痴漢冤罪」が、それこそ「○○キモ〜イし、痴漢犯としてでっち上げようか」って言うような所から起こるのと同様に、相手を陥れる事の道具として使用されかれない危険性があると思うんです。そう言う面ではプロの人にとっては「表現行為」を萎縮させてしまう事になるのではないか?って思うんですよね。
 ええ、そりゃ露骨に狙った写真は当然NGですよ。盗撮とか、実際の子供に性的な行為を強要させて撮影している写真とか言うのは。そう言うのはガンガン取り締まってやって下さい。そう言う「虐待行為」を取り締まる法律ならば思いっきり賛成しますよ、全力で。
■「本当に守るべきものは何か?」
 一体何を守らなくてはならないのか?って言うのが最大の問題だと思うんです。
 本当に「性的虐待」を受けている子供であれば、そりゃ全力で守るべきだと思いますし、それこそ児童相談所とかの機能強化って言う事をすべきだと思います。ですが、所謂「出会い系サイト」に出入りしているようなガキを守る必要はあるのか?って言うのが実際の所なんですよね。そりゃまぁ、暴力団絡みとか、学校の中のイジメで「本人の意思に反してやらされている」のであれば、それは全力で守らないとならないですけど、それこそ「遊び金が欲しくて援助交際やってます」なんて言うガキも一律に守らなくてはならないのでしょうか?正直、その「援助交際の相手」である大人は最低ですし捕まるのは当然ですが、ガキが捕まらないのは一体どう言う事よ?って思うんです(確か18日の静岡新聞朝刊で捕まったガキの話が出ていましたが)。無条件で「すべての子供を守る」って言うのはそりゃどう考えてもおかしい話だとは思うんですけどね。
 あと、「アニメなどの表現物も違法」って言うのも正直意味不明な訳で。実際に存在していないものまで規制って言うのは・・・まぁ、「そのアニメを見て自分もやってみようと思った」と言う事を平気で抜かす馬鹿が居る以上仕方無いのかなと思う所があるのですが、それでも「内心の自由」まで規制しようとする所まで下手したら行くんじゃねぇのか?って危惧してしまう所があるんです。
 犯罪と言うものは「第三者が被害を受けて」初めて成立するものだと思います。それこそ外患誘致罪とかありますが、そこらへんはまた別ものとして考えるにしても、極端な事を言えば「好きな子の事を妄想する」ために「絵や文章を書いて、それによって満足を得る」と言う第三者に対して被害を与えない行為をするだけで逮捕、って言う事も成立しかねない訳で。それが外部に対して出ないものであっても・・・って言う所なんですよね。多かれ少なかれ、誰もが通って来た道を否定するって言う事が正直信じられないと言うか、「内心の自由」を「公共の福祉」と言う名目で踏みにじると言うのは一体どう言う事なんだ?って思う所です。本当に守るべきものを守らずに、個人の内心の自由を踏みにじると言う事こそ「人権侵害」だと思うんです。
■「分からないから規制しよう」でいいのか?
 結局、規制派は「自分たちには分からないものだから規制しよう」って言う所が実際の所にあるのかもしれません。すべてを自分たちが把握してないと怖いと言うか、そんな部分なんでしょう。確かにその考え方は自分の中にもある部分ですし、決して否定はしません。
 ですが、「分からないもの」であったとしても「人間としてやってはならない事」と言うものは普遍的なものだと思うんです。他人の事を考えない事をしちゃならないとか、他人を傷つけてはならないとか。要はその「普遍的なもの」をどうやって伝えるのか?伝えるべく努力をしているのか?と言う「大人の行動」だと思うのです。その「行動」をしないまま「分からないものは規制してしまえ」って言うのは大人としてはやってならない事だと思うのです。暴論を言えば、「日本ユニセフ」の署名に応じた2万1000人と言う日本人は「普遍的なものを伝えようとしない怠惰な大人」です。ええ、言い切ってしまいますよ。こんなに馬鹿な人間が居たんだ、と絶望してしまうほどに。時代が変わる中で、それこそ「団塊の世代」も社会を変えてきました。そして自分たちの世代も、その次の世代も「社会を良い方向に」行かなくてはなりませんし、「変わって行く事」が求められていると思うのです。
■最後に
 とりとめも無く色々と書いてしまいました。
 基本的には「こどもの人権を守る」と言うのには賛成ですし、DVとかいじめとか色々と解決しなくてはならない問題があると言う認識は持っています。ですが、「日本ユニセフ」なる団体が提出したこの要望の中身や、その背景を考えてみた時に「法律」と言う強制力を伴う手段に訴えるのが本当に正しいのか、と言われれば「正しくない」と思うのです。強制力を持つ法律は厳格に審査され、その法律が本当に必要なのかどうかと言うエビデンスが要求されるべきものであると考えますし、いい加減なエビデンスによって作られた法律の恣意性が一番怖いものと思います。
 何らかの強制力を持った法律が必要である、確かにその理由は分かります。ですが、その法律が「強制力」を持つだけに、「新しい法律を作る必要性があるのか」(既存の法律を見直す事によって問題が解決されるかどうか)と言う事を検討する必要があるのではないでしょうか。