静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

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昨日の事件から考えてみる。

 昨日は状況がまだはっきりしてない所だったので、あんなネタまみれのエントリを書きましたが、とりあえずは「どんな事件なのか」って言う所が見えて来たので書いてみる。


 まずは、今回の事件で犠牲になった皆さんに深く哀悼の意を表すると共に、事件原因の解明が「個人の資質」と言った矮小な問題に終わるものではなく、社会的背景まで踏み込んだものになることを願う。何故ならば、今の「社会が抱える問題」が見事なまでに噴出した事件であると思うからである。
 だが、犯人に対しては中途半端な情状酌量をしないで欲しい。何も罪の無い人間を7人も殺した事は明らかな犯罪行為であり、その犯罪行為は自らの死を以て償われなくてはならない。いや、死でも償いきれるものでは無い。だが、その前に「何故このような事を行ったのか」を正々堂々と自らの言葉で語ってほしい。その「言葉」を語る事によって、今の「社会の抱える問題」を多くの人が目の当たりにできるかもしれないからである。


 容疑者の経歴を見てみると、正直に言えば「下手したら自分もやりかねないな・・・」と思った。「生活が嫌になって」と言う犯行理由、「25歳のくせに何を言う」と思った所はあるが、自分自身の25歳の頃を考えてみると、確かに正社員ではあったが、「○○を道連れに・・・」と思った事は正直あった。だけど、どこかでそんな想いをとどまったのか、結局は犯罪を犯す前に会社を辞め、多少は無職を経験したものの今の勤務先に拾って貰えたと言う状況があった。静岡の地元で実家から通勤し、あんまり他人様にはおおっぴらに出来ないような趣味もあるとは言え、何とか「現実」の重圧をかいくぐる術を知っていた、と言うのも実際にあったからかもしれない。近くに家族が居る、と言う状況もあったのかもしれない。
 今から「もし」と言う事は出来ないかもしれないが、話を聞いてくれる人がそばに居たら、何か現実から多少なりとも逃避できる術を持っていたら、こんな事件は起こらなかったのかもしれない。そんな気がしないでもない。正直、そこを考えるとかなり胸が痛む所である。


 次に「社会的環境」的な部分を考えてみたい。
 容疑者はトヨタの系列の関東自動車工業派遣社員として働いていたと言う。「派遣社員」と言う働き方が今では一般化していると言うが、「派遣社員」と言う制度が本当にそれでいいのか?と言う根本的な疑問を持っている。確かに「派遣労働者の賃金」を経営者の視点から見た場合には「外注加工費」と言う原価計算書上での費用科目に計上されるだけあって、固定費では無く変動費として扱われている。そう言う面では人件費という固定費では無い分、企業収益に与えるプラスの面は大きい、というのは理解しているし、収益を出すためには必要なものであると考えている。
 そんな中で、企業の目的がgoing concernと言うのは自明の事であるが、果たして本当に"going concern"だけでいいのだろうか。このBlogでも前々から折に触れて書いているし、自分自身のPolicyでもあるが、企業とは「社会的な存在」であり、「地域にある存在」であると確信している。そんな中で雇用を創出する事も企業の目的の一つである。人間にとって「何かに所属している事」は欲求の一つであり、その欲求が満たされる事によって更に高次の目標へ進むことができるのではないだろうか。
 そのような状況の中で、「尊厳を持つ人間」と言うものを「モノ」として見る「一般労働者派遣」と言うのは「市場」の観点からは確かに必要かもしれない。だが、人間の本質的に言えば「本来あるべき姿」から離れているものでは無いだろうか。恐らく、この容疑者も「自分の尊厳」と言うものを何処かで踏みにじられたのかもしれない。その踏みにじられた「もの」の爆発、これが今回の「通り魔事件」と言う余りに哀しすぎる結末を招いた結果になるのではないだろうか。
 確かに反論として「正社員でも反りの合わない職場」と言うものがあるかもしれないし、決して正社員と言うものが最良の雇用形態であるとは言えないかもしれない。事実、自分自身も正社員であったが、職場の雰囲気とは反りが合わなかったし、正直そんな部分で当時は相当耗弱していたのは否めない事実である。だが、それでも、「自分のやっていた仕事」そのものには誇りを持っていたし、そんな部分で「最後の一線」を越える事だけは無く、今でも通勤電車で当時の同僚と会ったりとか、同じ会社に勤めていた後輩が運転する高速バスに乗り合わせ、「あの会社はなぁ・・・」なんて昔話をする事も出来る。
 儲ける事が悪いとは言わない。いや、むしろどんどん儲けて貰わないと色んな面で困ってくる。公的機関とか金融機関からの支援を受けるのは一向に構わないし、正直色々と頼っていいと思う。だけど、独り立ちが出来るようになったとき、今度はどこかに還元して欲しい、いや、還元しなくてはならない。雇用という面での還元もあるだろうし、何か他の面での還元でもいい。そうする事が「社会と企業の良好な関係」になるのではないだろうか。


 あともう一つだけ。
 既にと言うか、予想通りと言うか「オタクが引き起こした犯罪」と言う方向で誤った方向へ世論を動かそうとしているマスコミもあるが、本当に「オタク=犯罪者」となるのであれば、こんな趣味丸出しのBlogをやっている自分も犯罪者になるのだろうか。マスコミがどこの考えで動かされているとか言う陰謀論には与したくない部分ではあるが、「自分たちの理解を越えるもの」に対して耳を塞ごうと言う姿勢では、正直な話いつまでも「アリーナ」の形成は出来ないと思うし、いつまで経っても「物事の本質」に近づく事が出来ないのではないだろうか。
 自分自身、正直に言えば他の人から見れば「オタクだよなぁ、俺って」って思う部分はあるし、決して土日の秋葉原の雰囲気が嫌いな訳じゃない。だけど、「これはやり過ぎだろ」とか思う部分はあるし、今まで日陰者だったオタクを興味本位で取り上げる馬鹿なマスコミは「本質を見誤っている」と思う。
 この事件はあくまで「個人の資質」に資する部分もあると思うし、その背景にはこのオタク文化だけではなく、今の日本をとりまく経済情勢に由来する企業の「ものの考えかた」とか「倫理観」と言った考え方を多様なディシプリンで分析し、その結果を今後の様々な政策に反映させる必要があるのではないか、と思っている。短期的な対策も必要、だが、短期的な対策だけで誤摩化されないように政府やマスコミのやっている事を「批判的な目」を持って行く必要があることを、ネットの僻地の片隅からではあるが問題提起をしたい。