静岡の高速バス倉庫 アーカイブ

過去記事のアーカイブになっています。

わざわざCDを買うって言う行為。

 昨日は全く雨の降らなかった静岡ですが、外では雷が鳴り響いている状況です。いや、マジで今日は静岡の番なのか?なんて思っている倉庫番だったりするんですが・・・まぁ、土砂崩れだけが起こらない事を願うだけです。
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 夏コミで買ったCDの中でも「これは大当たり」って言うものをピックアップしてみました。既に"Collete"は昨日のエントリで書いていますが、残り3枚に関してもネタ切れになった時に簡単なレビューを書いてみたく思います。まぁ、どこまで書けるかどうかは良くわかりませんが。
 で、知人がこんな事を言っておりました。「おまいさん、ニコ動で落とせるものを何で買うんだね」と。
 う〜ん、お金って言う意味では確かにそうなんですよね。無料ですし(笑)、無料のものを買うって言う行為が良くわからないって言う部分なんでしょうか。冗談半分で「ヲタってもんは【情報】を集める事に無上の悦びを見いだす人種だからな」って言う感じで切り返しておきましたが、残り半分は「やっぱ好きなサークルさんやアーティストさんの作品をお金を出して買うって言う事は【応援してますよ】って言う事の意思表示なんだよ」って言う事を言っておいた訳なんですが、「そうなのかなぁ?」とイマイチ分からない様子。
 今日はここらへんを書いてみたいと思ったり。
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 広報しずおかが「大雨洪水警報発令」と言う事を告げています。
 大丈夫かよ(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル
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 まず「情報」を集めるって言う所。
 何も情報って言うのは字義そのものの「情報」って言うものではなく、実体化している商品とかそこらへんも含めて「情報」として考えるのがわかりやすいところかと思います。ヲタの中での序列って言うものを考えると、基本は「情報を持っている人」と言うのが高いポジションにある訳で、その逆の人が低いポジションにあるって言う事を感じています。後は情報の供給者と消費者って言う所で言えば、供給者(=創り手)の方がそのステージは高いって言う所で。
 まぁ、実際「情報」を多く持っている人はそれなりの活動はしていますし、言い換えればその興味対象に対してどれだけのめり込んでいるのかって言う事を示すわけで。また、その「活動」の中ではやっぱり困難なものも多くあると思います。そんな「情報」を集めるプロセス自体もまた楽しいわけですし、そのプロセスが困難であれば困難であるほど、その「情報」の持つ価値は高くなる訳で。結局、そのような「情報」を持っている人が周囲から見ていい意味で「あいつはイッてるよ」やら「ダメ人間だからな」と言う評価を得たり、その評価を得る事の裏返しで「叩かれる」と言うような部分もあるのかな、と思う所で。
 自分自身も「情報」を集める事は楽しいですし、その「情報」を得るのが困難であれば困難であるほど、自分の興味のある部分に関しては、障壁を乗り越える事もまた楽しみの一環になるわけで。そう考えると自分もやっぱり廃人なのかな、なんて思ってみたり。


 んで、次は「応援」と言う行為。
 基本的には「価値判断」と言うものが背景にはあると思うんですよね。このblogを生暖かく見ている皆さんは恐らく高速バスネタで来ている方が多いと思うので、そっち方面で考えてみたく思います。
 自分がしょっちゅう高速バスに乗るって言うのはそれなりの理由がありますし、それに伴うコスト負担力の関係が無いとは言えませんが、基本的には「好きだから月に何回も使う」って言うアホな事をやっているって言うのは確かにあるんですよね。興味のない人は「そんなもん、別にどの路線使っても一緒じゃん」とか「新幹線使うわ」って言う部分で終わってしまうんですよね、実際は。だけど、その「目的」に対する価値判断の結果としての支出行為を実施するって言うのはあるんです。ただ単に「便利だから」とか「安いから」って言うような世間で通用するような理由以外の何かの存在、そこが色んな部分での分かれ目だと思うんです。
 そんな中で、創作者が利潤追求を求めてない世界(要するに同人誌であるとか同人CDであるとか)に於いては、この支出負担行為に関する判断基準って言うものが更に厳しくなると思うんですよね。特に別のアプローチとして「無償で入手できる」と言うものがある場合に於いては。結局、そう考えると同人CDの場合は、「曲の持つ世界観や物語」への共感と言うものがその根底にあり、その根底にあるものへの「感謝」的な側面と「応援」的な側面があるのでは、と思っています。
 実際、自分もCDを買ったのは「情報」を集めるって言う事以外にも「繋がり」とか「応援」って言う価値をそこに見いだすことがあったからが故なんじゃ無いのかな、って思っていたりする所。
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 まぁ、長々と抽象的な事を書いてしまいましたが、結局は「自分にとって、そのものが(生活に役立つと言う事を抜きにして)自分の感性に合うかどうか」って言うのが色んな意味でも判断基準であり、その判断基準を超えたものに対して「これは良い」と言う評価を出すのではないかな、と思うんですよね。
 恐らく同人業界(この言い方は正直好きではありませんが、適当な言葉が無いのでこの言葉を使うしかない)だけではなく、基本的には一般消費財におけるマーケティングに対する対抗言説にもなり得るんじゃないかと思うと同時に、それぞれの中で「判断基準」って言うか、自分にとっての「目利き」が出来るようにならないとならないんじゃないのか、なんて思う所です。